安土桃山時代日本の歴史

5分でわかる安土桃山時代!主な出来事や主要人物、どんな時代だったかわかりやすく解説

織田信長や豊臣秀吉が活躍していた時代を「安土桃山時代」と呼びますが、日本の長い歴史の中でいえば、わずか30年そこそこの短期間に過ぎません。しかし、この時代に日本の文化・経済・技術・習慣・風俗などは劇的な変化を遂げました。古い伝統的な国の形から脱却したのです。この期間にいったい何があったのか?安土桃山時代を経済という観点からスポットを当て、わかりやすく紐解いていきたいと思います。

1.安土桃山時代に起こったことのおさらい

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「安土桃山時代」とは、信長と秀吉がそれぞれ築いた居城の名前から取られています。滋賀県近江八幡市にある安土城は信長によって初めて築かれた総石垣の巨大城郭ですし、豊臣秀吉が晩年築いた伏見城は、桃山丘陵の上に築城されたものです。それでは、この時代に起きた大きな出来事をおさらいしていきましょう。

1-1.乱世の中から織田信長が登場

1467年に起こった応仁の乱以来、100年にわたって続いていた戦国時代に、終止符を打とうとしていた人物が織田信長です。尾張国(現在の愛知県西部)の大名だった信長は、駿河の今川義元を討ち、さらに隣国の美濃国(現在の岐阜県)を手に入れました。

続いて暗殺された将軍の弟足利義昭を奉じて、1568年に武力で敵対勢力を倒しながら上洛を果たし、室町幕府を再興させました。やがて幕府の権威を利用しながら瞬く間に畿内を平定。信長は歴史の舞台の主人公となったのです。

しかし「自分をないがしろにされた」と感じた義昭は、次第に信長と不和になり、敵対する勢力に連絡を取り付けては信長包囲網を形成しました。

これを野放しにできない信長は、ついに義昭を追放。室町幕府は実質的に滅んだのでした。時に1573年のことで、この出来事をきっかけに安土桃山時代がスタートするのです。

1-2.天下統一まであと一歩だった信長

義昭を追い出したことで、事実上のトップに君臨した信長は、包囲網に与する勢力を次々に滅ぼしていきます。比叡山延暦寺・朝倉氏・浅井氏・波多野氏・石山本願寺などを屈服させ、着実に天下統一へと歩を進めていました。

1582年に、長年の宿敵だった甲斐国(現在の山梨県)の武田氏を滅ぼした信長は、次に目を西へ向け、中国地方の毛利氏を討とうとしました。

出陣準備のために京都に宿泊していた信長でしたが、織田方の部将たちがいない空白を突かれてしまいます。同じく中国地方へ出陣する命令を下していた明智光秀によって本能寺で討たれてしまったのです。天下統一まであと一歩のところでした。

1-3.信長の後継者となった羽柴秀吉

いっぽう中国地方で信長の来援を待っていた羽柴秀吉は、「信長死す」の報を受け取ります。一刻も早く畿内へ取って返すことを優先させた秀吉は、まさに神がかったスピードで中国大返しを達成し、仇敵光秀を討ち取ったのでした。

主人の仇を討った秀吉は、織田家中での発言権を増していくいっぽうで、ライバルと目される人間を懐柔したり、滅ぼしたりしていきました。1583年に柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで滅亡させ、翌年には徳川家康と小牧の役で戦いました。

着実に信長の覇権を受け継いでいった秀吉は、四国・九州・関東へ兵を進め、従わない勢力を屈服させることで、ようやく天下統一の漕ぎつけたのです。また姓を羽柴から豊臣に改めて貴族の仲間入りを果たしていますね。

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明石則実