1-4.秀吉が築いた安定の時代
国内に敵対勢力がいなくなり、「惣無事令」を出して大名間の争いを禁じたことで、国内の争乱は収まりました。また兵農分離政策を進めたことで、明確な身分制度が出来上がりつつあったのも、この時代の特徴です。
また活発な海外貿易のおかげで、大都市にはモノがあふれ、「桃山文化」と呼ばれる絢爛豪華な美術・芸術が花開きました。襖絵や障壁画、建築などに代表される様式は、後世の文化に大きな影響を与えています。
海外貿易が活発になるとともに、国内経済も活性化していきました。この頃、各地の鉱山から多くの資源が採掘されて貨幣の流通が活発になります。また各地の豪商クラスも育つようになり、ちょっとしたバブル景気に沸いたのです。
1-5.秀吉の死と、次なる次代の胎動
1598年、一代の英雄だった豊臣秀吉が死去し、天下大乱の兆しが起こり始めていました。次の天下人を狙う徳川家康と、石田三成らの反対勢力が一触即発の状況となったためです。
1600年、東西両軍が関ヶ原で激突し、その勝敗はたった1日で決着がつきました。勝利を収めた家康は、敵対した大名たちを軒並み取り潰し、身内といえる譜代大名や、息のかかった者たちを要地へ移封させます。こうして豊臣氏の勢力を封じ込めたのです。
3年後に江戸幕府が開かれると幕藩体制のもと、日本に住む人々、土地、皇室や朝廷に至るまで統制の対象となりました。幕府が全ての権限を握ることで、260年に及ぶ太平の世がスタートしたのでした。
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2.安土桃山時代とはどういう時代?
信長・秀吉の伝統の捉われない自由闊達な気風に満ち溢れた時代でした。のちの保守的な江戸時代と違って、革新的な考えがもてはやされていたのです。
2-1.中央集権政権の誕生で安定した世の中に
あの織田信長が戦国のカリスマやヒーローなどと呼ばれる理由は、日本で長く続いた戦乱にケリをつけ、天下を掌握したからに他なりません。
源平時代の頃からずっと戦い続けてきたといえる日本人。たしかに戦国時代は戦いに明け暮れた時代だとされていますが、そのずっと以前から元寇や南北朝の戦い、応仁の乱など日本人は飽きることなく戦い続けてきたのです。
まず信長が畿内を中心に中央集権型の政権を打ち立て、次に秀吉が引き継ぐ形になりました。また地方の抵抗勢力を屈服させることによって、日本全国津々浦々に政情の安定という安心感をもたらしたのです。
2-2.天皇の代理人となった天下人秀吉
そして秀吉のエライところは、自分自身が関白になることによって天皇の代理として日本を統括したことでした。
「関白秀吉の言葉は、天皇の言葉」であり、その権威をもって人々を統制したのです。
ちなみに幕末に徳川幕府が持ちこたえられなかったのは、幕府はあくまで天皇から政治を委任されただけであり、その任に堪えられなければ当然のこと政権は返上しなければならない。という理由によるものでした。
いずれにせよ信長・秀吉の時代というのは政治や民心が比較的安定していたため、経済発展や文化興隆の素地が出来つつあった時期だといえるでしょう。
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2-3.自由闊達な気風に満ち溢れた時代
安土桃山時代に完全に戦乱が収まっていたというわけではありませんが、その時代に生きた人々にとって比較的自由な時代だったといえるでしょうか。
「自由」というのは好き勝手に生きていたという意味ではありません。江戸時代のような身分制度に縛られることなく、様々な場所への行き来が自由で、職業選択も自分の判断で可能でした。もちろん大前提として「自己責任」ということは言えますが。
もちろん自分の実力次第で「人の上に立つこと」は夢ではありませんし、戦いの才能や商才などがあればチャンスはありました。まさに「ジャパン・ドリーム」が叶えられる可能性があったということですね。
2-4.今とは比較にならない民衆のパワー
選択肢の一つとして、もちろん海外へ向かうことも気持ち一つですし、志さえあれば農民の身でありながら武士になることもありました。
逆に武士身分から帰農する人間も多かったといいます。身分制度が固定されないぶん、各階層や地域ごとに人の行き来があり、それが社会の活性化に繋がったのではないでしょうか。
戦いという仕事を失くした日本の武士たちが傭兵(ようへい)となって海外へ出向き、戦(いくさ)働きをするというのもよく見られた光景でした。東南アジアにはいくつも日本人町があったそうです。
また楽市楽座のように、古い慣習に従うことなく自由に商売ができることも多かったため、多くの商業都市が誕生しました。まさにそういった民衆たちのパワーが経済を支えていたといっても過言ではありません。
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