最澄による比叡山延暦寺の開山
不明 – 藝術新潮1974年 10号 増大特集日本の肖像画, パブリック・ドメイン, リンクによる
奈良時代の末期、最澄は自分で掘った薬師如来を本尊とする一乗止観院を比叡山に建てました。平安時代に入った804年、弟子の義真を連れて遣唐使の一員となり中国にわたります。最澄は中国にあった多くの典籍を筆写し日本に持ち帰りました。806年に朝廷から天台宗が独立した宗派として認められて以後、比叡山延暦寺は天台宗の総本山として多くの僧侶が修業する「総合仏教大学」として機能します。
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比叡山の地主神である大山咋神と日吉大社
最澄が比叡山延暦寺を建立する前から、比叡山には日枝神社がありました。日枝神社は、現在では日吉大社と呼ばれていますね。都が長岡京から平安京に移ると、比叡山は都の東北の鬼門にあたるため、朝廷は日吉大社を鬼門除け、災難除けの神社として崇敬します。
日吉大社の祭神は山の神である大山咋神と大黒様こと大国主命。この二つの神をあわせて山王とも呼びました。最澄が延暦寺を建てる前から比叡山に鎮座していたことから、山王は比叡山の地主神として扱われます。
最澄は山王を天台宗・延暦寺の守護神として崇敬しました。そのため、天台宗と日吉神社は表裏一体の存在となり、全国に天台宗が広がるとあわせて日吉神社も広がります。
現在、日吉神社の本殿は滋賀県大津市坂本にあり、安土桃山時代に再建された西本宮本殿と東本宮本殿は国宝に指定されました。
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最澄による延暦寺開山
最澄は奈良時代後期に近江国滋賀郡を治める豪族の子として生まれました。778年、12歳の時に近江国分寺で出家します。785年、東大寺で具足戒を受け国家公認の僧侶となりました。
788年、地元に戻った最澄は比叡山に一乗止観院という草庵を建立します。これが、比叡山延暦寺の始まりでした。一乗止観院の本堂には最澄が自ら彫ったと伝えられる薬師如来が安置されます。現在、薬師如来は秘仏とされ一般公開されていません。
時の帝である桓武天皇は最澄を深く信任したため、比叡山延暦寺は朝廷の保護を受けるようになりました。806年、最澄は朝廷から正式に天台宗の開宗が認められます。その時、最澄は延暦寺が独自に僧侶を認定するための大乗戒壇設立を申請しました。
奈良の南都諸寺院の反対もあり、申請はなかなか受理されませんでしたが、最澄の死後、延暦寺に大乗戒壇を設立することが認可されます。これにより、天台宗は奈良の諸寺院から完全独立を果たしました。
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総合仏教大学として機能した延暦寺
802年、最澄は遣唐使の一員である還学生(げんがくしょう)に選ばれました。還学生は短期留学生のこと。804年、最澄は弟子のひとりとともに遣唐使船に乗って中国にわたります。そして、天台宗の高僧たちから天台教学、大乗菩薩戒などを学びました。
また、密教や禅についても学びます。これにより、最澄は当時中国で信仰されていた多くの仏教を身に着けて帰国することができました。
最澄が中国で筆写した経典類は230部460巻に及びます。最澄自身が受けた教えと最澄が筆写した経典は日本仏教発展にとってとても重要なものとなりました。
最澄が中国で得た知識や経典を軸に、延暦寺は天台教学、戒律、密教、禅、法華経などを学ぶことができる仏教の総合大学として機能するようになります。
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中世の比叡山延暦寺
比叡山延暦寺は多くの名僧を輩出する一方、他の大寺院と同じく荘園領主化します。延暦寺は荘園や寺院を守るため、下級の僧侶を武装させ僧兵としました。僧兵たちは日吉大社のみこしを担いで朝廷に様々な要求を突きつける強訴をおこない、為政者を悩ませます。戦国時代、延暦寺は信長と敵対する浅井・朝倉と手を組んだことにより信長の怒りを買いました。これに怒った信長は延暦寺を焼打ちしてしまいます。
天台宗の分裂と名僧の輩出
最澄の死後、比叡山延暦寺の僧たちは二つの派に分かれて争いました。一つは第三代天台座主の円仁の弟子たち。もう一つは第五代座主の円珍の弟子たちです。
993年、円珍の弟子たちは比叡山延暦寺を降りて園城寺(三井寺)に立てこもりました。以後、天台宗は比叡山延暦寺に残った山門派と園城寺を中心とする寺門派の二つに分裂します。
その一方、比叡山延暦寺では活発な教学研究が行われ、多くの名僧が輩出しました。
『往生要集』の著者源信や浄土宗の開祖である法然。臨済宗を開いた栄西。曹洞宗を開いた道元。浄土真宗を開いた親鸞。日蓮宗を開いた日蓮などは平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した名僧たちです。
比叡山延暦寺は日本仏教が発展するための「大学」として機能していたことがわかりますね。
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