幕末日本の歴史江戸時代

日本人なら知っておきたい「幕末の事件・出来事」八選

「幕末」をテーマにした時代劇や小説は根強い人気があります。大河ドラマの題材としてもたびたび取り上げられ、ファンも多い。何が起きたかおおむねわかっていても次週の展開が気になってしまう……と、ついつい熱を入れてしまう方も多いのではないでしょうか。身分の低い武士や市井の人々が熱く生きた幕末。どんな時代だったのか、幕末に起きた出来事をたどりながら紐解いていきたいと思います。

武士の時代から近代日本へ!幕末を揺るがした事件・出来事とは

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幕末とは江戸から明治へ、日本という国が大きく変わる激動の時代。「幕」とはもちろん「江戸幕府」のことです。江戸幕府の末期、一般的には日米和親条約締結の安政元年(1854年)から後の30~40年ほどの間のことを指していいます。長い日本の歴史の中ではほんのわずかな期間ですが、今までの暮らしが一変するような、すべての価値観が変わる激動の時代でもありました。江戸だけでなく全国で、様々な出来事が起きていますが、今回はその中でも特に、その後の日本に大きな影響を及ぼした出来事を取り上げてまいります。

嘉永6年(1853年)浦賀に黒船がやってくる

すべてはここから始まりました。

嘉永6年(1853年)6月3日、浦賀沖に突如、巨大な戦艦が姿を現します。大きくて真っ黒で煙を吐く船。人々はこれを「黒船」と呼んで恐れおののきます。アメリカ大統領の親書を携えたマシュー・ペリー提督率いる艦隊です。

艦隊の目的は開国と通商。つまり、ビジネスです。ペリーは日本に開国を迫ります。当時のアメリカは、イギリスなどヨーロッパ諸国に比べて海外とのビジネスにおいて少々遅れをとっており(イギリスは中国や東南アジアに進出中)、日本を足掛かりにして遅れを取り戻したいと目論んでいたようです。

当時の日本は、長崎の出島を起点にごく限られた外国とのやり取りが行われるという、いわゆる鎖国体制がとられていました。

突然の黒船の来航に、江戸幕府は上を下への大騒ぎ。開国を拒めば、あの大きな黒船の大砲が江戸城に向けられる可能性もあります。開国か開戦か、「外国を受け入れて新しい日本を築くか」「外国を排除して今までの日本を守るか」……。日本は大きく揺れ動いていました。

日米和親条約と日米修好通商条約

ペリーは2回、日本を訪れています。最初は1853年。ただしこの時、江戸幕府は「すぐには返事ができない」と答え、ペリーに対し1年の猶予を求めます。

これに納得してペリーはいったん帰還。翌年1854年に再び浦賀に現れ(実際には半年ほど)、江戸幕府をけん制。1か月ほど協議が行われ、全12か条から成る日米和親条約(神奈川条約)が締結。この条約の中で、日本とアメリカの間の基本的な約束事が交わされます。

12か条の中には、日本に不利なものも含まれていました。

開国から間もない1858年(安政5年)、アメリカの本来の目的である通商に関する条約が締結されます。これが「日米修好通商条約」です。

これにより、長崎や新潟、兵庫など主要な港が次々開港。外国人居留地が設けられ、関税に関する取り決めなども日本に不利益な内容が重なっており、平等な条約とは言えないものだったと伝わっています。

しかし、この不平等な条約をきっかけに、日本の近代化はスピードアップ。良くも悪くも、日本の背中を押す結果となったのです。

安政の大獄と桜田門外の変(井伊直弼暗殺)

今振り返ってみれば、開国の道を選んだからこそ現代のような日本の暮らしがあるとわかりますが、当時の人々にとっては、このままアメリカの言いなりになってよいのか、これから日本がどうなっていくのか、不安が増すばかりだったはずです。

それは幕臣たちにとっても同じ。どう動くべきか、みんな慎重だったはずです。実は日米修好通商条約の締結のときにも、こうした幕臣たちの思惑が交錯していました。

幕府で大きな力を持っていた大老・井伊直弼(いいなおすけ)は、朝廷のお伺いを立ててから開国すべしと慎重論を唱えますが、開国派の幕臣たちがどんどんことを進めてしまい、日米修好通商条約の締結に至ってしまったのです。

朝廷の許しがあってもなくても不平等な条約に終わった可能性は高いですが、それでも幕臣たちに不満が広がります。しかも、井伊直弼が締結したわけではないのに「井伊が勝手に開国した」みたいな空気になってしまったのです。

味方の少なかった井伊直弼。いわれのない中傷を受け責任を問われ、逆に「自分のやり方や意見に歯向かうものを処罰」し始めます。

諸藩の大名だけでなく公家や皇族に至るまで、処罰対象となったのは100人に上るとも。これが世にいう「安政の大獄(あんせいのたいごく)」。その中には、あの吉田松陰の名前もありました。

幕府内で強大な力を持つようになった井伊直弼ですが、これはやりすぎ。結果的に敵をたくさん作ってしまい「桜田門外の変」で暗殺されてしまうのです。

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