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織田家の筆頭家老にまで登りつめた「柴田勝家」の生涯をわかりやすく解説

織田信長を支えたのは、身分の上下に関係なく実力を評価されて集まった有能な家臣団でした。その中でも「織田四天王」のひとりで、筆頭家老となった柴田勝家(しばたかついえ)は、誰もが一目置く勇猛な武将でした。しかし、信長の死後、勝家は豊臣秀吉との権力争いにあっけなく敗れ去ることとなってしまったのです。「信長の時代で最も勇猛な武将」と評された彼は、なぜ生き残ることができなかったのでしょうか。戦に明け暮れた彼の生涯を見ていきたいと思います。

織田家に仕えていたが、信長に反逆する

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柴田勝家は、織田信長の父・信秀のころから織田家に仕えていました。しかし当初は信長ではなくその弟・信行に仕え、そこで家老をつとめていたのです。信長が奇行を繰り返す「うつけ者」だったことから、信行を当主にしようと、勝家は信長に戦いを挑みますが、あっけなく敗れてしまいました。敵に容赦のないことで有名な信長に反抗した勝家は、いったいどうなってしまったのでしょうか。

信長の父・織田信秀に仕える

柴田勝家は、大永2(1522)年に尾張(愛知県西部)の豪族の子として生まれたと伝わっています。後に主君となる織田信長よりも一回り年上です。

当初、勝家は信長の父・織田信秀(おだのぶひで)に仕えており、古参の家臣とみなされていました。天文21(1552)年に信秀の死によって信長が家督を継ぐころには、すでに重臣となっていたようです。となれば当時31歳ですから、相当有能な人物だったということがわかりますね。

最初は信長に仕えていたわけではなかった

柴田勝家というと織田信長の家臣というイメージが強いかと思いますが、実は最初のうち、彼は信長に仕えていたわけではありませんでした。信長と母を同じくする弟・織田信行(おだのぶゆき)に仕え、そこで家老となっていたのです。

信長は少年時代から奇行を繰り返し、「うつけ者」と呼ばれて敬遠されていましたが、信行は兄とは正反対で、実に品行方正な若者だったと言われています。信秀の葬儀の際も、信長が抹香を投げつけたのに対し、信行は粛々と焼香を済ませたとか。

となれば、信長よりも信行を織田家の当主にすべきだという考えの者たちが早くから存在していたのですが、兄弟の父・信秀は、信長に重要拠点の那古野城(なごやじょう/愛知県名古屋市)を与えており、うつけとはいえ信長を後継者として考えていたようでした。

織田信行を担ぎ、信長に戦いを挑む

信長が家督を継いだばかりのころ、織田家は決して一枚岩ではなく、強力でもありませんでした。分家が反・信長を掲げることもあり、謀反もよく起こりました。

とはいえ、まだこのころの勝家は信行の家臣として、信長に謀反した勢力と戦うこともあったのです。天文21(1552)年の萱津(かやつ)の戦いでは、敵方の武将を討ち取る功績を挙げ、その後の戦でも30人を討ち取ってみせるなど、まさに「武」の人としての働きを存分にしていました。

ただ、信長のうつけぶりはとどまるところを知らず、「やはり信行さまを当主に…」との声が出始め、信長の後見人だった林通貞(はやしみちさだ)までもがそれに同調し、勝家と共謀して信行を担ぎ、挙兵することになったのでした。

信長に反旗を翻すも、敗れる

担がれた信行もまた、家督に対する野心はありました。織田家の代々の名乗りである「弾正忠(だんじょうのじょう/だんじょうのちゅう)」を書状に書きつけるなど、信長への対抗心を以前から露わにしていたのです。

そして弘治2(1556)年、勝家が加わる信行軍と信長軍は激突しました。これが「稲生(いのう)の戦い」です。

勝家らの兵は1,700、対する信長はわずか700。圧倒的な兵力差があり、信行勢の勝利は最初から決まっているようにも見えました。勝家も兵を率いて信長本陣に迫るなど、あと一歩のところまで信長を追いつめたのです。

しかし、信長配下の勇猛な家臣たちの奮戦と、信長自身の一喝に信行方の兵が怯み、形勢は逆転。信行軍は敗れ、勝家もまた敗軍の将となってしまったのでした。

信行を見限って信長に仕え、信頼を積み上げる

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信行の母によって助命嘆願され、命を助けられた勝家ですが、やがて信行との間に溝が生じます。そして信行が再度の謀反を画策すると、彼は信行を見限り、信長に密告したのです。それ以降、勝家は信長の家臣として再出発し、信頼をゼロから積み上げる日々を送ることになりました。彼の武勇は信長に認められ、実力主義の織田家の中で存在感を増していくこととなります。

信行とは徐々に距離ができる

当然、信長は信行や勝家を死罪にしようとしましたが、そこで思わぬ助けが入りました。信長・信行兄弟の母である土田御前(つちだごぜん)です。以前から信行を偏愛していた土田御前は、命だけは助けてやってほしいと信長に嘆願したのでした。

愛されなかったとはいえ、実母の嘆願を信長は無下に断るわけにはいかなかったようで、これで勝家は信行と共に命を助けられることとなりました。

ただ、その後、勝家と信行の間がぎくしゃくし始めます。信行は新入りの家臣を重用し、勝家を遠ざけるようになっていました。そして、密かに再びの謀反を企み始めていたのです。

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