織田信長と最愛の女性の間に長男として生まれる
織田信忠は、織田信長の長男として生まれ、将来は跡を継ぐことが既定路線となっていました。早くから武田信玄の娘・松姫との婚約が決まっていたのです。幼い二人は手紙のやり取りで交流を深めていきましたが、彼女が輿入れしてくることはありませんでした。
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信長の長男として生まれるが、幼名は「奇妙丸」!?
織田信長がまだ尾張(おわり/愛知県西部)の一武将に過ぎず、桶狭間の戦いで今川義元(いまがわよしもと)を倒す3年前の弘治3(1557)年、織田信忠は信長の長男として生まれました。母は信長最愛の女性・生駒吉乃(いこまきつの)だと言われており、織田信雄(おだのぶかつ)は母が同じ弟となります。
信忠の幼名は「奇妙丸」と言いました。ちょっと変わった名前ですよね。生まれた時、顔が奇妙だったからというとんでもない理由だそうですが、信長は変わった名前や仇名を付けることが多かったんです。ちなみに、弟・信雄は「茶筅丸(ちゃせんまる)」ですし、豊臣秀吉には「はげねずみ」、明智光秀には「キンカ頭」など、信長の独特のセンスが感じられます。
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武田信玄の娘・松姫との婚約
父・信長はどんどん力をつけ、着実に勢力を広げていきました。そんな中での永禄10(1567)年、信忠は武田信玄の六女・松姫との婚約が決まります。
というのも、元々、信長の養女が信玄の息子・勝頼(かつより)の正室となっていたのですが、彼女が亡くなってしまったのです。このままでは、織田・武田の絆が弱まってしまう恐れがありました。このため、同盟をさらに強固なものにするため、信長と信玄は互いの子供同士の結婚を決めたのでした。
この時、信忠は11歳、松姫は7歳でした。松姫は輿入れするにはあまりにも幼かったため、武田側が信忠の正室を預かるという形になったのです。
以降、信忠と松姫は手紙や贈り物のやり取りを続けて交流を深めていきました。
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