民主主義の大原則「政教分離」とは?わかりやすく解説
政教分離とは何なのか?
政教分離とは、簡単に言うと国家と宗教団体の分離の原則を言います。
中世の欧米では基本的には宗教と政治が深く結びついている政教一致の国がほとんどでしたが、自由主義や民主主義の概念や思想がが浸透していくと国際的に宗教が政治に参加して政策を作るなどの影響力をできるだけ排除して政府機関が宗教とかかわることを禁止していこうとする動きが現れてきました。
これこそが政教分離の大元な流れというわけなんです。
なんで政教分離を行わなければならないのか?
政教分離を行うべき理由にはいくつかの原因があります。世界にはまだ政教一致している国家がありますがまずはそんな国について解説していきながら政教分離について見ていきましょう。
宗教によって支えられていた国家
フランス革命以前のヨーロッパの国家は基本的には政治と宗教が深くかかわっていました。
たとえば962年にオットー1世が初代神聖ローマ帝国となった背景にはカトリックのトップである教皇の意向によるものですし、さらには神聖ローマ帝国以外の王国も基本的にはカトリックに絶対服従することが当たり前だったのです。
その結果何が起こったのかというと、キリスト教以外の宗教を信仰している穂とを激しく弾圧していくこととなります。たとえば宗教の色がまだ濃かった中世ではキリスト教とその付属している宗教しか信仰することは許されておらず、もし進行したことが発覚した場合には異端とされて処刑されることなんてざらだったのです。
そのため、人々は宗教に違反していることであればたとえ正しくても何も言えなくなり、例えば科学の発展が著しく遅れる(例:ガリレオの地動説の主張)原因の一つとなるなど負の影響も与えることになります。
そのため、近代国家の育成のためには政治も宗教を分けて考えるという意識が必要不可欠なものとなっていったのでした。
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イギリスにおける宗教と政治
意外だと思うかもしれませんが、イギリスは政教分離ではなく政治と宗教が密接に関わっている国家でした。
1534年にヘンリー8世によってイングランド国教会が成立。このイングランド国教会がイギリスの国教として今も存続しています。
ピューリタン革命にはいると国教会とカトリックとピューリタンの三つ巴の戦争に突入することになるのですが、1660年に王政復古が行われるとイングランド国教会はイギリス国教として復活し、それが現在もつづいているのです。
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