室町時代戦国時代日本の歴史

5分でわかる松姫の生涯!信玄の娘・信忠の婚約者だった彼女をわかりやすく解説

親兄弟に決められた政略結婚が大半を占めた戦国時代、それでも相手を思い続けた一途な姫君がいました。彼女の名は松姫(まつひめ)。しかも、彼女は生涯一度も許婚に会うことはなかったのです。心が折れそうになる悲劇をいくたびも経験した、戦国最大の悲恋の主人公・松姫の生涯をお話ししたいと思います。

1. 武田の姫君として生まれ、織田に嫁ぐことになるが…

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松姫は時の最強戦国武将・武田信玄(たけだしんげん)の娘として生まれました。そして父・信玄と織田信長との同盟の証として、信長の息子・信忠(のぶただ)との結婚が決まります。しかし、彼女が輿入れする前に婚約は破談となってしまったのです。それはどうしてだったのでしょうか。

1-1. 7歳で織田信忠と婚約

松姫は、永禄41561)年に甲斐の武田信玄の五女(六女とも)として誕生しました。

父・武田信玄は、戦国最強とうたわれた武田軍団を有する強力な戦国大名。風林火山の旗印のもと、どんどん勢力を拡大していました。上杉謙信(うえすぎけんしん)と繰り広げた死闘は、今でも語り継がれています。

母は美女として名高かった側室・油川(あぶらかわ)夫人です。母を同じくする兄には仁科盛信(にしなもりのぶ)や葛山信貞(かつらやまのぶさだ)、姉には菊姫(上杉景勝正室)などがいます。後に信玄の跡を継ぐ勝頼(かつより)は異母兄となりますね。

そして永禄10(1567)年、松姫7歳の時、織田信長の嫡男・信忠との婚約が決まりました。

1-2. 信忠と婚約した背景

松姫の婚約者となった信忠の父・織田信長といえば、天下をほぼ手中に収めることとなる戦国一の英雄ですが、当時はまだ武田信玄に対抗しきれる力はありませんでした。このため、信玄とは同盟しておく方が得策だったのです。

また、武田と織田は同盟の証として、勝頼と信長の姪(養女)・龍勝院(りゅうしょういん)を縁組させており、二人の間には跡継ぎとなる信勝(のぶかつ)が生まれていたのですが、この龍勝院が亡くなってしまいました。同盟維持のためにも、新たな婚姻関係を結ぶ必要があったというわけなのです。

1-3. 会ったことのない許婚への思い

婚約したとはいえ、まだ松姫は幼く、未来の夫・信忠もまだ11歳でしたから、輿入れは当分先のことになり、織田家の正室を武田家があずかるという形を取って、松姫は甲斐で生活を続けることになりました。そして彼女は、「新館御寮人(にいだち/にいだてごりょうにん)」と呼ばれるようになります。御寮人とは、身分の高い人物の娘や妻に対して使われる言葉です。

また、「新館」の意味は、武田氏の本拠地・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に彼女の住居を作ったことに由来するとも、兄・仁科盛信の住む高遠城(たかとおじょう/長野県伊那市)に住居が作られたことに由来するとも言われています。

婚約者となった信忠からは、折に触れて手紙や贈り物が届けられたそうです。もちろん松姫もそれに返事をしたためました。最初は親に命じられて手紙を書き始めたのでしょうが、やり取りを重ねるうちに、2人はまだ会ったことのない許婚への思いをお互いに育んでいったのでしょう。そして、松姫は母の美貌を受け継ぎ、美しく成長していきました。

1-4. 突然の婚約破談

ところが、2人の思いを引き裂くような事態が発生してしまいます。

元亀3(1572)年、松姫の父・武田信玄は、西へと軍を進め、徳川家康の領地である三河・遠江(愛知県・静岡県)へ攻め込み、両者の間で三方原(みかたがはら)の戦いが起きました。徳川家康は織田信長と密接な関係にあったため、信長に援軍を要請し、信長もこれに応じます。

これによって武田と織田の関係は崩れてしまい、自動的に松姫と信忠の縁談も破談になってしまったのでした。松姫は12歳、おそらく何が起きているのかは理解できたことでしょうが、それでもこの事実が少女の心をいたく傷つけたことは間違いありません。はからずも、2人の家は敵同士となってしまったのですから…まるでロミオとジュリエットのように。

そしてその直後、父・信玄が病気により亡くなり、異母兄の勝頼が武田家当主となりました。

2. かつての許婚が攻め手の総大将に

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婚約が立ち消えになってからも、松姫は誰にも嫁ぐことなく日々を過ごしました。そこには、信忠への消えない思いがあったのかもしれません。しかし、やがて武田侵攻を開始した織田方の総大将は、なんと信忠でした。かつての婚約者に家を攻められた松姫の心境はいかばかりだったか…激動の甲州征伐について見ていきましょう。

2-1. 信忠を思い続け、縁談を断る

松姫と信忠の婚約は破談となりましたが、松姫はその後、数ある縁談にも決して首を縦に振ることはありませんでした。信忠への強い思いがあったことがうかがえますね。すでに父・信玄はこの世におらず、異母兄の勝頼が当主となっていましたが、勝頼も悲しい縁談破棄の経緯を知っていたでしょうから、妹に無理強いできなかったのかもしれません。

それから彼女は同母兄の仁科盛信のもとに身を寄せ、高遠城で過ごすことになりました。

ただ、そこでの穏やかな日々も、突然、破られることとなったのです。

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