ドイツヨーロッパの歴史

5分でわかるドイツ国旗の歴史!変遷や由来・意味をわかりやすく解説

一つのまとまった国のように見えるドイツですが、実は連邦制といって各自治州が連帯して成り立っている国家なのです。意外とこのような連邦制を敷いている国は多く、アメリカ(合衆国)やロシア(連邦)、オーストラリア(連邦)などもそれに当たりますね。いわゆるドイツの場合も例にもれず、その国旗は連邦の統一旗という意味合いで、実は過去から現在にわたって様々な国や自治体の旗が存在していました。そしてそれぞれ歴史的文化的な意味もあったのですね。では、非常に数多いドイツ国旗の変遷をみていきましょう。

1.ドイツ国旗のこれまでの変遷とは?

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ヨーロッパでは時代と共に様々な国家が興隆し、繁栄し、消えていきました。ドイツも例外ではなく、現在のドイツ連邦共和国が出来上がるまでに、たくさんの国家が存在していたのです。ドイツ国旗の歴史は、すなわちどいつそのものの歴史でもあります。その変遷をご紹介していきましょう。

1-1.神聖ローマ帝国の国旗

Flag of the Holy Roman Empire (1200-1350).svg
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9~10世紀頃に出現し、1806年まで続いた神聖ローマ帝国。いわば複数の国家による連合政権のような存在でした。紆余曲折を経て、およそ1000年ほど続くわけですが、やはり「双頭の鷲」の紋章が最も有名でしょうか。

権力と力の象徴ともいえる「鷲」は皇帝が持つ絶対王権を意味していましたが、鷲を象った紋章を持つ国家は意外に多く存在しています。

インドネシア・アルメニア・シリア・ルーマニア・ロシアなど、いずれも国家としての強さを強調した場合が多いようですね。

13~14世紀頃の神聖ローマ帝国における国旗は、鷲の図柄ではなく赤字に白の十字が描かれていました。これは神聖ローマ皇帝とローマ教皇が争った際に、皇帝側が掲げたシンボル旗だったそうです。

1-2.ライン同盟の国旗

Alleged flag of the Rhine Confederation 1806-13.svg
N3MOhttp://www.flaggenlexikon.de/fdtlhirb.htm#Flagge, パブリック・ドメイン, リンクによる

19世紀初め、ナポレオンの登場によってヨーロッパの勢力図は大きくその形を変えることとなりました。アウステルリッツの戦いでオーストリア・ロシア連合軍を破ると、ヨーロッパ大陸のほぼ全てを手に入れたわけです。

また1806年には、ドイツ諸邦を組み入れるためにライン同盟を結成。多くの国が加わったため、神聖ローマ帝国はその歴史に幕を閉じることとなりました。

しかしナポレオンがロシア遠征に失敗し、急速に力を失ったことによって、ライン同盟も1813年に消滅してしまうのです。ちなみにライン同盟の国旗を見てみると、なんだか某コンビニエンスストアのカラーリングによく似ていますね。

1-3.ドイツ帝国の国旗

Flag of Germany (1867–1919).svg
User:B1mbo and User:Madden – Recoloured Image:Flag of Germany (2-3).svg, パブリック・ドメイン, リンクによる

ライン同盟崩壊後、たくさんの諸邦に分散していたドイツをまとめたのがプロイセン王国でした。1871年、宰相ビスマルクの主導の下に統一され、新たにドイツ帝国が誕生したのです。大きな影響を持っていたハプスブルク家は、この時除外されています。

ドイツ帝国憲法が制定されて立憲君主制のもと議会が運営されますが、実質はドイツ皇帝の権限は強大なものでした。第一次世界大戦では皇帝ヴィルヘルム2世の政略失敗によって敗戦の憂き目に遭い、共和制へと移行するのです。

国旗にある「白」と「黒」は盟主となったプロイセン王国のシンボルカラーで、「赤」はハンザ同盟に由来しています。

1-4.ヴァイマル共和政期の国旗

Flag of Germany (3-2 aspect ratio).svg
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第一次世界大戦で敗れたドイツでは立憲君主制が崩壊し、ヴァイマル憲法下で議会民主主義が誕生しました。国家元首も大統領となり、穏健な社会民主主義政策へと舵を切ったわけです。

しかし戦後のヴェルサイユ体制下では、多額の賠償金などによって過酷な負担を強いられ、激しいインフレで国家経済は疲弊します。

ついにヴェルサイユ体制に反対をを唱える国家主義運動であるナチズムが台頭し、ヴァイマル共和政はたった14年しか存続できませんでした。

ヴァイマル共和政期の国旗は、黒・赤・金(黄)といった自由主義的なカラーリングに代わっており、現在のドイツ連邦共和国も同じデザインを踏襲しているのです。

1-5.ナチスドイツ時代の国旗

Flag of Germany (1935–1945).svg
Fornax投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

ナチス党が政権を取ると、ヴェルサイユ体制や議会政治が否定され、ヒトラーによる独裁政治が始まりました。国民の失業問題や経済問題を解決する代わりに、国家レベルでの全体主義が優先されたのです。

ユダヤ人排斥をはじめとする民族浄化、監視社会や反共主義の強制など、国民を強く統制する手段に訴えました。また強硬な外交政策によって諸外国との軋轢を生んでいくのです。

この頃の国旗は1935年に制定された「ハーケンクロイツ(鉤十字)」を象ったもので、「ドイツ民族こそが優生的な血統を持っており、世界に幸福と秩序をもたらす存在」だということを意味しています。

第二次世界大戦でドイツが敗れたことにより、このハーケンクロイツ旗は掲揚禁止となりました。

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明石則実