ヨーロッパの歴史

古代ヨーロッパを終わらせた「ゲルマン民族の大移動」その理由とは?わかりやすく解説

世界史の中で一番有名なのが「ゲルマン民族大移動」ですよね。学校で専門教室への移動の時なども「〇年〇組大移動」など言ったことのある人もいるかもしれません。ところがその大移動というのは漠然とした認識で(駆け足での授業のせいもあり)本当のところどうなったのか覚えている人っていますか?そこのところを知りたいと思いませんか?

ゲルマン民族ってどういう民族?

image by PIXTA / 9933919

現在「ゲルマン」という国は見当たらないですよね。いったいゲルマン民族ってなんだったのでしょうか?移動したということならば、元々はどこにいたのでしょうか?誰に移動させられたのでしょうか?移動した後はどうなったのでしょうか?色々と謎が深まっていきますよね。

ゲルマン民族を知ろう

「ゲルマン」という単語が最初に歴史に登場するのは、紀元前前80年頃ギリシアの歴史家「ポセイドニオス」が書いた記録には「前2世紀末にゲルマンの小部族「キンブリ族」「テウトニ族」が(古代ローマのケルト人が住む)ガリアに攻め込んで来た」・紀元前50年頃のジュリアス・シーザー(カエサル)の『ガリア戦記』・紀元100年頃「タキトゥス」が書いた『ゲルマニア』となっていますね。

北海とバルト海の境界線のようにある「ユトランド半島(現・北はデンマーク・南はドイツ)」に住んでいました。農耕民族ですが休耕地をしないで作物を作ったので土地が枯れていくので、紀元前750年あたりから領土を広げていたようですよ。元々はスカンディナヴィア原住民といわれています。自由人・半自由人・奴隷という階級に分かれて、王族と自由人から選ばれた政治家(?)で統治されていたといいますね。

ゲルマン人ではなく「民族」といいますので、色々な種族がありますよ。代表的なのは、後に2つに分かれるゴート族・ブルグント族・ランゴバルド人・アングロ・サクソン人・ジュート人ですね。現在のデンマーク人・スウェーデン人・ノルウェー人・アイスランド人・アングロ・サクソン人・オランダ人・ドイツ人の始祖となったといわれていますよ。

ゲルマン民族大移動!

ゲルマン民族は、西暦300年から700年代に大移動をはじめます。最初に移動を開始して「ローマ帝国」に侵攻したのが「西ゴート族」。次に「東ゴート族」「フン族」から逃げてきたのですよ。人口爆発・気候変動・疫病の蔓延・高齢化人口の増大も原因ではないかともいわれていますね。

移動の経過はどんなだった?

一気に「東ローマ帝国」に殺到してきたので戦闘が起きますが、結果的には376年に東ローマ皇帝「ウァレンス」から、ドナウ川を越えてバルカン半島北部に移住することを許されて、傭兵としての地位を受けて住み着いたのですね。なぜ傭兵として認められたのかというと、やはりフン族が侵攻してきたので、それに対抗するためだったのですね。

他の「ブルグント族」はフランス北部、「ランゴバルド」はイタリア、「アングロ人」「サクソン人」「ジュート人」がイギリス、「ケルト人」との混血である「アレマン人」は南西ドイツに侵入していきますよ。残ったゲルマン民族(ノルマン人)はどうなったのかというと「ヴァイキング」として活躍していくのですね。

ゴート人たちはローマ人と同化していきますが、ゲルマン民族だけでなくスラブ系民族やラテン系民族と連合してできた「フランク人」という人たちが、ローマ人と交流するものの独自のものも維持していって、現在のフランス・イタリア・イギリスなどの西ヨーロッパに広がっていきます

原因となったフン族ってどういう民族?

それではフン族というのはなに?と思いますよね。フン族は紀元前6世紀に発生した「スキタイ民族」で、南ロシアの草原地帯からモンゴル高原を経て中国まで通っている「草原の道」で活躍した、アジアの遊牧騎馬民族です。中国では「匈奴」と呼ばれていました。

紀元前4世紀には、秦の始皇帝の討伐で衰退したものの勢いを盛り返し、紀元前2世紀に中国の「漢」の「武帝」に追われて西に移動を開始。400年かけて「黒海」にやってきます。これが「フン族」と呼ばれるようになったのですね。匈奴は「フンヌ」と読めるからだそうですね。370年頃にフン族は突然襲来して東ゴート族・西ゴート族侵略して征服してしまうのですよ。これがゲルマン民族大移動の原因なんですね。

433年にフン族は「アッティラ」が王となって最盛期を迎えます。東ローマ帝国は、ゴート族の庸兵をつかいつつも貢物をして懐柔していました。450年「西ローマ帝国」に侵入して北フランスの都市を攻略。451年フランスのオルレアンを包囲。ローマの将軍「アエティウス」は、ゲルマン民族(西ゴート族やブルグント族)の勢力を結集して反撃。「カタラウヌムの戦い」で撃退。続けてイタリアに攻め込むもののローマ教皇「レオ1世」は、アッチラ王と会見し、莫大な貢納金を渡して撤退させますよ。アッティラ王が亡くなると東ゴート族は蜂起してフン族を滅亡させてしまったのですね。

なんというか、モンゴル平原の騎馬民族で侵略って誰かを思い出しませんか?そう「蒙古襲来」の「チンギス・ハン」ですよ。蒙古だけが特別ではなく、元々そういうことがあったのですね。

各地に根をおろしていくゲルマン民族

image by PIXTA / 9648357

北欧から西ヨーロッパへ民族大移動してきたゲルマン民族ですが、その部族ごとに各自に移動していき各地で王国を設立していきます。これによってローマ帝国は滅亡していきますが、その王国も興亡があったりするんですね。ちなみに東ローマ帝国・西ローマ帝国と分裂してはいましたが、実際の所大きなローマ帝国という企業があって、その下に東西ローマ帝国という会社があったという感じのようですね。代表的なところだけ簡単に説明していきましょう。

次のページを読む
1 2 3
Share:
紫蘭