ドイツヨーロッパの歴史

5分でわかるドイツ国旗の歴史!変遷や由来・意味をわかりやすく解説

2.現在のドイツ国旗に込められた意味

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20世紀末にソ連崩壊の影響による東欧諸国の民主化に伴い、東西ドイツが統一されたのは記憶に新しいところですが、この際に旧東ドイツのものではなく、西ドイツの国旗が東西ドイツの統一旗となりました。経済的に遅れていた東ドイツが西ドイツに合流する。という意味となったのですが、実はこの旗は「自由」と「統一」の象徴であるとも言われています。その旗の持つ意味とは?ドイツ近代史を絡めてひも解いていきましょう。

2-1.西ドイツ国旗と東ドイツ国旗

ドイツ国旗は上から「黒」「赤」「金(黄)」の三色で構成され、ヨーロッパ諸国でよく用いられるような3色水平旗となっていますね。そして各色はそれぞれ「勤勉」「自由」「祖国の栄誉」を表していると言われています。

実は統一前の東ドイツ国旗も色のモチーフはまったく同じなのですが、唯一、真ん中に「麦の穂」「コンパス」「金槌」のデザインがあしらわれていました。いかにも共産主義というイメージなのですが、1990年の統一の際に「さすがに共産主義の象徴」を国旗に入れるのはまずいだろう。ということで、東ドイツ国旗は廃されました。

しかし既述したように、現在の国旗「黒・赤・金」のルーツというのは、19世紀にまでさかのぼることができるのです。

2-2.フランスからの抑圧

19世紀初め、ナポレオン率いるフランスとの戦争状態に入った当時のプロイセン王国は、ナポレオン軍による破竹の進撃を許し、結局は不平等なティルジット条約によって多くの領土と人口を失いました。

フランスはドイツ諸邦とライン同盟を結ぶことにより多くの支配圏を得ましたが、いっぽうでドイツ人たちを虐げることで優位性を保とうとしたのです。

しかしフランスによる不当な支配は、ドイツ人たちを自主独立の機運と共に目覚めさせ、国軍のみならず義勇軍までが立ち上がり、激烈な抵抗運動として歴史に名を刻むことになりました。

2-3.抵抗した人々のシンボルカラーが国旗デザインの源だった

フランスに抵抗した人々の中に、リュッツォウ少佐率いる義勇兵部隊がありました。彼らはドイツ各地を転戦し、多くの民衆から支持を得て、一躍ヒーロー的存在となったのです。

そして彼らが着用していた軍服の生地(黒)、襟(赤)、ボタン(金)こそがフランスの抑圧から民衆を救う象徴となったのでした。

また、生き残った隊員の多くが復学したイェール大学においても彼らはその軍服を着続け、ドイツの学生結社連合(ブルシェンシャフト)のシンボルカラーとなったのです。それがドイツ国旗のルーツともなりました。

2-4.3月革命のはじまり

ナポレオンが打倒された後、およそ30年にわたってヨーロッパ各国では「ウィーン体制」と呼ばれる王政復古の政治体制が敷かれることになりました。

二度とナポレオンのような存在を出さぬよう、各国の国王が民衆に対して抑圧的な政治を行い、自由の芽を摘もうとしたのです。

しかし、当時の労働者階級がそんな中世的な王政復古を望むべくもなく、多くの人々が生活や労働条件の改善を求めて起こしたデモや暴動が発端となりました。これを3月革命と呼びます。

 

2-5.三色旗に込められた人々の希望

民衆の抵抗運動のシンボルである「黒赤金」の三色旗を押し立てて軍隊と衝突し、ドイツ統一と自由を求める行動に出たのでした。

当時細かく細分化されていたドイツ諸連邦の統一を求めていた側面もあり、まさに「自由と統一」を人々が望んでいたことがわかります。

結果的に国王は民衆の圧力に屈し、民主的議会を発足させることに。ドイツ初の民主的議会であるフランクフルト国民議会でのドイツ連邦旗が、実はこの三色旗だったのです。

しかし反革命勢力の台頭によって国王復権が成り、完全なる自由は潰えますが、この時の三色旗を押し立てた民衆の希望や思いは、後のドイツ統一の大きな理念となるのでした。

3.ローマ時代から続く権威の象徴~鷲~

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ドイツの国旗といえば「鷲」の紋章も忘れてはいけません。現在こそ国旗にこそ用いられてはいませんが、ドイツ連邦共和国の国章としてシンボル化されていますね。その歴史的背景をみていきましょう。

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