ヨーロッパの歴史

世界中を巻き込んだ「第二次世界大戦」原因・経過・結果をわかりやすく解説

今から80年以上前の1939年、ドイツがポーランドに攻め込んだことから第二次世界大戦がはじまりました。第二次世界大戦には世界の主要国が参戦。世界のありとあらゆる地域が戦争に巻き込まれていきました。どうして、こんな世界大戦が起きてしまったのでしょうか。今回は第二次世界大戦の原因・経過・結果についてわかりやすく解説します。

第二次世界大戦の背景

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第二次世界大戦の背景には大戦の10年前に世界を襲った世界恐慌があります。各国が経済対策に奔走する中、経済的基盤が弱く植民地を持っていない国々では国家の利益を最優先するファシズムが台頭。ドイツのアドルフ=ヒトラーやイタリアのベニト=ムッソリーニなどが政権を掌握します。日本でも政党政治が排除され軍部による独裁体制ができつつありました。

持てる国と持たざる国の対立

1929年にアメリカで発生した世界恐慌は瞬く間に全世界を覆いつくしました。各国では企業が倒産し、失業者が街にあふれだします。急激な不景気である恐慌を脱出するため、アメリカではニューディール政策を実行。政府主導で多くの公共事業を実施し失業者に職を与えようとします。

イギリスやフランスは自分たちの植民地から外国を追い出すブロック経済を実行。国内産業の保護を明確にしました。アメリカ・イギリス・フランスのような資金や植民地を持つ国のことを「持てる国」と表現します。

一方、第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは全ての植民地を失い巨額の賠償金を課せられていました。国民に渦巻く「自分たちだけが苦しむのは納得いかない」との思いはヒトラー政権誕生の原動力となります。

イタリアや日本は戦勝国でしたが植民地は小さく経済的基盤が弱い点ではドイツと共通。こうした国々は「持たざる国」と表現されました。「持たざる国」は「持てる国」に対して世界の再分割を要求するようになります。

ファシズムの台頭

ファシズムとは、20世紀前半に現れた政治体制のことです。ファシズムは議会制民主主義を否定し、強力な軍事力をもつ独裁国家をめざしました。イタリアでは戦勝国でありながら経済的に苦しむ人々の不満を背景としてムッソリーニが政権を握ることに成功。ムッソリーニは国民の熱狂的支持を背景にエチオピア侵攻など対外侵略を行いました。

ドイツではヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(通称、ナチス)が1932年の総選挙で勝利。ヒトラーが首相に就任します。1934年のヒンデンブルク大統領の死去によって、ヒトラーは大統領も兼任する総統の地位につきました。政権を取ったヒトラーはユダヤ人の迫害などをおこないます。

ヒトラーは再軍備を禁じたロカルノ条約を破棄。ヴェルサイユ条約で課せられた賠償金の支払いも停止します。日本では1932年の五・一五事件で犬養首相が暗殺され、政党政治が終わりを告げていました。不況に苦しむドイツ・イタリア・日本ではファシズムが台頭したのです。

ドイツの領土拡大とイギリスの宥和政策

ヒトラーはドイツ民族の居住地域を統合・拡大することを目標に周辺地域への侵略を開始します。1938年、同じドイツ系民族の国家であったオーストリアを併合。同じ年に隣国であるチェコスロヴァキアのズデーテン地方を要求します。

この問題をめぐりイギリス・フランス・ドイツ・イタリアがドイツのミュンヘンで会談。イギリスやフランスはヒトラーの「領土要求はこれで最後」を信じて要求を認めました。

イギリスのドイツに対する甘い姿勢を「宥和政策」といいます。イギリスが宥和政策をとった理由はソ連の存在にありました。世界恐慌の影響をあまり受けなかったソ連は国力を増大させつつあります。イギリスはソ連を警戒し、ドイツがソ連に対する防波堤の役割を担ってくれることを期待したのです。しかし、のちにこの期待は最悪の形で裏切られました。

長期化する日中戦争

1931年の満州事変以降、日本は中国に対する進出をさらに強めます。1937年には盧溝橋事件をきっかけとして日中戦争がはじまりました。日本は国民政府の首都である南京を攻め落とせば戦争は早期に終結すると考えていました。しかし、中国国民党の蒋介石は中国内陸部の重慶まで撤退。戦争の長期化は避けられなくなります。

しかも、それまで中国国内で争っていた中国国民党の蒋介石と中国共産党の毛沢東が協力して抗日民族統一戦線を結成し一致団結して日本と戦いました。重慶の蒋介石はアメリカやイギリスの支援を受けています。日本は蒋介石を降伏させるためアメリカ・イギリスと蒋介石を結ぶルートを断ち切りたいと考えました。日本はアメリカ・イギリスに対抗するためドイツと接近、日独伊三国同盟へと突き進みました。

スペイン内戦

1931年、スペインでは国王アルフォンソ13世が退位を宣言。共和制へと移行しました。スペイン共和国では社会党や共産党といった左派(社会主義勢力)が力を増します。地主・教会・軍・資本家らは、スペインでも革命が起きて自分たちの地位や財産が奪われるのではないかと危機感を抱きました。

1936年、こうした危機感を背景にフランコ将軍がモロッコで挙兵。スペイン内戦が始まりました。フランコ将軍はドイツやイタリアの支援を取り付け、共和国政府を追い詰めます。共和国政府には各国の義勇兵が参加したほか、ソ連の支援もありました。

スペインを舞台にファシズムと社会主義・共産主義が争ったのです。イギリスやフランスは不干渉政策をとり内戦に干渉しようとしません。結局、ドイツ・イタリアの支援がものをいい、内戦はフランコ将軍の勝利に終わりました。

第二次世界大戦の経緯

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1930年代の後半は日中戦争やスペイン内戦などいたるところで戦いが起きた時期です。特にスペイン内戦ではファシズム陣営と社会主義陣営が激しく対立。双方の旗手であるドイツとソ連の対立は誰の目にも明らかでした。ところが、ドイツとソ連は秘密裏に交渉を重ねます。そして、世界中を驚かせた独ソ不可侵条約を締結しました。1939年、ついに第二次世界大戦がはじまってしまいます。

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