ヨーロッパの歴史

欧州最大の悲惨な戦争「第一次世界大戦」をわかりやすく解説

日本人に「今までの歴史の中で一番悲惨だった戦争はなんですか?」と聞くと大概が第二次世界大戦(太平洋戦争)と答える人がほとんどです。しかし欧米に目を向けてみると第二次世界大戦よりも第一次世界大戦の方が悲惨だったと答える人も一定数いるのです。そこで今回はそんな第二次世界大戦よりも悲惨だったと呼ばれている第一次世界大戦について解説していきたいと思います。

ヨーロッパでの体制の揺らぎ

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普仏戦争によってフランスに勝利したドイツは1870年以降、ドイツの宰相ビスマルクによってフランスを孤立させるための体制であるビスマルク体制が敷かれていました。40年間戦争が起きなかったヨーロッパにおいてなぜいきなり1914年に第一次世界大戦というヨーロッパを揺るがす大戦争が起きたのでしょうか。まずはヨーロッパが第一次世界大戦に向かっていった3つのきっかけについて紹介していきます。

ビスマルク体制の揺らぎ

1870年、フランスとプロイセンの間で普仏戦争が起こり、それに勝利したプロイセンはドイツを統一。ドイツ帝国を成立させます。このドイツ統一を指揮したのかあの有名なビスマルクです。鉄血宰相でも有名ですね。でもビスマルクにはある不安がありました。ドイツは普仏戦争の賠償としてアルザスロレーヌ地方と賠償金をフランスに要求して見事にこの地域をかっさらっていきます。フランスからしたら「ふざけんじゃねぇよドイツ!」と思うのは当然のこと。いつリベンジマッチをされるかわかりません。そこでビスマルクはこのフランスのリベンジマッチを起こさないようにするためフランスを国際的に孤立させる外交関係をヨーロッパの国々に対して行なっていきます。この体制のことをビスマルク体制というのですが、この体制によってある程度ヨーロッパでは平和が訪れました。しかし、ドイツ帝国にてヴィルヘルム2世が即位すると事態は一変します。ヴィルヘルム2世はなんとドイツを支え続けてきたビスマルクをいきなり解雇。ビスマルク体制ではなく世界に覇を唱えるような帝国にしようと自信満々でした。

しかし、これによってチャンスと見たフランスはイギリスとロシアと協商関係を樹立。ドイツはイタリアとオーストリア・ハンガリー帝国と三国同盟を結んでいるものの、フランスとロシアとイギリスに囲まれてしまう最悪の事態を引き起こしてしまいました。

ヨーロッパの火薬庫 バルカン問題

1908年、第一次世界大戦が始まる6年前オーストリア・ハンガリー帝国はボスニアとヘルツェゴビナを併合。オスマン帝国の旧領にどんどん進出していきます。しかし、オーストリア・ハンガリー帝国が進出していたバルカン半島はなかなかの曲者でオスマン帝国が撤退した後紛争続きで収拾がつかない状態。ヨーロッパ諸国からはヨーロッパの火薬庫とも呼ばれ戦争がしょっちゅう起こっていました。さらにバルカン半島のセルビアという国はロシア系の民族が多く住んでおり、ロシアとの仲は非常に良いものでした。しかし、オーストリア・ハンガリー帝国はこの土地を狙っており、ロシアとオーストリア・ハンガリー帝国との関係は最悪な状態だったのです。

サラエボ事件

第一次世界大戦のきっかけとなった直接の理由とも言われるのが世界史を習った人ならちょっとだけ覚えているかもしれないサラエボ事件でした。

サラエボというのはセルビアの地名。つまりセルビア国内で起こった事件のことでした。サラエボ事件というのは簡単に言えばオーストリア皇太子夫妻がセルビアを訪れていた時にセルビア人の青年に暗殺された事件のことです。

さぁ、これは一大事だ。オーストリア・ハンガリー帝国からすれば今からでも宣戦布告するべきですが、セルビアにはロシアがついている。しかし、国内では「セルビア許すまじ」という声が強かったためついにセルビアに宣戦布告。セルビアが宣戦布告されたからにはロシアもオーストリア・ハンガリー帝国に対して宣戦布告を行いついに戦争が始まってしまいました。

飛び火していく戦争

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オーストリアがセルビアに宣戦布告したことによって始まった戦争。普通ならオーストリアとロシアとの戦争で終わるのですが、この当時オーストリアはドイツとイタリアと、ロシアにはイギリスとフランスがそれぞれついており、その国たちが一斉に宣戦布告。サラエボ事件がきっかけで起こった戦争はドイツ・オーストリア・イタリアの同盟国VSイギリス・フランス・ロシアの協商国というヨーロッパ全土を巻き込んだ大戦争へと変わっていきました。さらにドイツからすればロシアとフランスに挟まれている状態。普通に考えたら挟み撃ちの状態ですのでかなりやばいです。まさにビスマルクをクビにしたツケが今になってまわったみたいですね。

戦争の枠組みを超えた戦争

第一次世界大戦が始まり、ドイツとフランスが普仏戦争以来再び戦闘状態に入りましたが、ドイツはフランスを迂回してベルギー経由でフランスに侵攻するシュリーフェンプランを実行します。ドイツからすればこの戦争はこの作戦がうまくいけば普仏戦争みたいにすぐ終わると兵士みんな考えており「クリスマスには帰れる」という世界最大の死亡フラグを立てるなどこの時はまだ余裕でした。しかし、シェルリーフェンプランはフランス軍の反撃に遭い見事に失敗。ベルギーは占領したもののフランスに深く侵攻することはできず、フランス軍、ドイツ軍ともに大損害を出して膠着し始めたのです。

これまでの戦争は騎馬隊によって短期決戦、そして軍隊の枠組みの中での戦闘による戦争でした。例としてあげるなら普仏戦争の場合は7週間。日露戦争ですら1年ぐらいです。しかし、第一次世界大戦はこれから4年続き、そしてこれから登場する新兵器によって民間人も巻き込まれる総力戦へと進化していくのでした。

新兵器の登場

第一次世界大戦の前線が膠着していくとドイツやフランスなどは戦争を早く終わらせるために機関銃という一回銃弾を入れれば簡単に人に向かって打てる最新武器が使用され、その対策をしていなかった各国は大量の死傷者を出してしまいました。これまで一対一の個人戦闘が主流だったのが、一気に大量に殺せることができるようになったのです

そこでこの機関銃の攻撃を防ぐために塹壕で敵を追い込む塹壕戦が行われていきます。塹壕というのは簡単に言えば穴を掘って人が隠れるようにするための仕掛けです。いわゆるモグラみたいだものですね。しかしこの塹壕は水はけがすごく悪く雨が降ると足に水がずっと浸るようになり兵士たちは水虫にかかり、さらには凍傷になってしまい足を切り落とさなければいけない事態となってしまいます。さらに昼夜問わずなる機関銃の音や塹壕にずっといるストレスなどもあり心を病んでしまう人も続出。戦後にも影響する精神障害になってしまいました。

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