中世に終わり告げたルターの「宗教改革」詳しくわかりやすく解説!
- 宗教改革とは何だったのか?
- ルネサンスの影響によって始まった宗教改革
- グーテンベルクによる活版印刷技術の影響が大きかった
- ルターの宗教改革が始まりと言われる
- ローマ教皇レオ10世の贖宥状がきっかけに
- 神学者マルティン・ルターの批判が始まりになった
- 活版印刷技術の発展によってルターの批判は瞬く間にヨーロッパに広まった
- 宗教改革は中世のカトリック教会の支配を崩壊させた
- ローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝の権威の失墜
- 新興国のプロテスタント派への移行
- 三十年戦争を経て近代社会への移行
- プロテスタント国の発展と近代社会へ
- 宗教改革の功罪とは何か
- 宗教改革によって開けられた富と自由への自制心が大切
この記事の目次
宗教改革とは何だったのか?
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15世紀の前半に起こった宗教改革は、瞬く間にヨーロッパ中に広がっていきました。中世の固定化し、ものをいうことも禁じられたたキリスト教概念を打ち破り、新しい聖書の教義に戻った信仰を目指すプロテスタント派が打ち立てられたのです。
その背景にはルネサンスによって打ち立てられた自由の発想と新しい技術がありました。すなわち、ルネサンスのギリシャやローマの自由な発想に戻る考え方は、教会の主張よりも聖書の教えに戻ることにつながったのです。また、ルネサンスで生まれた活版印刷技術はそのプロテスタント派の考え方の普及につながっていきました。
ルネサンスの影響によって始まった宗教改革
宗教改革は、やはりルネサンス抜きには語れません。ヨーロッパの中世は、ローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝を中心として、地方のキリスト教教会と領主が支配する社会でした。その中で、教会は、キリスト教の聖書よりも教会の頂点にたつローマ教皇の指導する固定概念で人々の思考を支配し、ものが言えない自由のない時代になっていたのです。
そのようなキリスト教の固定概念に対して、古代のギリシャ、ローマの自由なものの発想に基づく芸術の姿勢に取り組もうとしたのがルネサンスでした。レオナルド・ダ・ビンチもミケランジェロもギリシャ、ローマ時代の自由に満ち溢れた芸術性にあこがれ、それを目指して芸術活動をしていたのです。
そしてその自由に発想するというルネサンスの考え方は、羅針盤、火薬、羅針盤を産み出しました。それによって、長距離航海が可能となって大航海時代をもたらし、キリスト教の地球は平らであり、天が動いている(天動説)という固定概念を覆したのです。そして、グーテンベルクの活版印刷技術は、その自由な発想による考え方を文字にして、ヨーロッパ中の人々にプロテスタントの考え方を広める役割を果たしました。ルターらの考え方は、活版印刷によって、宗教改革として大きなうねりになっていったと言えるのです。
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グーテンベルクによる活版印刷技術の影響が大きかった
グーテンベルクの活版印刷の技術は、マルティン・ルターなどのローマ教皇のキリスト教教会に対する批判を瞬く間にヨーロッパ中に広めました。それまでの中世社会でも教会に対する批判はあったものの、その地域だけにとどまって、広がることはなかったのです。しかし、ルターなどのローマ教皇や教会批判は、グーテンベルクの活版印刷技術によってヨーロッパ中に広げられ、中世の固定概念に縛られてものを言えなかった不満を持った人々に支持されることになりました。
中世社会ではあり得ないことが起こったのです。
ルターの宗教改革が始まりと言われる
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中世社会において、マルティン・ルター以前にもキリスト教批判や教会批判、牧師批判というものはありました。しかし、あくまでも狭い地域社会の出来事で、領主、教会によって握りつぶされ、逆に魔女裁判のように罪深きものとして責めたてられていたのです。
しかし、マルティン・ルターがローマ教皇や教会批判をし始めた1517年頃には、コロンブスがアメリカ大陸(西インド諸島)を発見し、マゼランが西回りでの世界一周に出発しようとしている時期でした。中世の固定概念は揺らぎ始め、新しいものにあこがれてローマ教皇、教会に対する不満が人々の心に高まっていたのです。
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