ドイツヨーロッパの歴史

5分でわかるドイツ国旗の歴史!変遷や由来・意味をわかりやすく解説

3-1.「鷲」こそ権威と力の象徴だった

「鷲」のモチーフは遠くローマ時代から使われており、食物連鎖の頂点でもある鷲は古くから力や権威の象徴とされてきました。

特に現在のドイツと領土をほぼ同じとする神聖ローマ帝国では、この鷲の紋章が好んで用いられ、中世の画家デューラーが描いたカール大帝やマクシミリアン1世の肖像画などにも頻繁に登場します。

さらには皇帝ジギスムントの時代に神聖ローマ帝国において、紋章は「双頭の鷲」となりました。右の頭は「ドイツ王権」を。左の頭は「皇帝権」を象徴しています。

神聖ローマ帝国は、ルクセンブルグ家とハプスブルグ家からそれぞれ王位を輩出する家柄でしたが、ハプスブルク家が王位を世襲するようになると、双頭の鷲は用いられなくなったのです。

3-2.引き継がれていく「鷲の紋章」

やがてプロイセン王国の時代となります。3月革命で一時的に民主的議会を発足させた「フランクフルト国民議会」でも同様に鷲の紋章が用いられました。

ややもすれば皇帝の力が強くなりつつある中で、人々は王権に負けない民主主義を推し進めようとしたのです。

ですから、その紋章の中には皇帝のシンボルである「剣、宝珠、笏、王冠」の図柄は存在していませんでした。民主的な議会に国王の権威は必要ない。と言わんばかりの主張だったのですね。

 

3-3.ドイツを表すシンボルとなった「鷲」

そして時代が下り、ドイツ統一が成った後のドイツ帝国時代にも、そして第一次世界大戦で敗れてワイマール共和制となった際にも引き続き「鷲の紋章」は使用され続けました。

さらにはナチス党が政権を奪取し、「ナチス・ドイツ」が発足すると、鉤十字の上に鷲の紋章があしらわれるようになりました。

そして現在はドイツ連邦共和国の国章となっていますね。こうして中世から現代にかけて、「鷲の紋章」はドイツのシンボルであり続けたのです。

4.これもドイツを象徴するマーク~十字の紋章~

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ドイツを表す紋章として、これも有名なのが「十字」ですよね。北ドイツ連邦時代や、ワイマール共和制の時代にも軍旗として使用されていました。この紋章も中世以来の歴史があるものなのです。

4-1.キリスト教と十字の紋章との関係

まず、この十字の紋章がなぜあるのか?そういった疑問から解明しましょう。まず十字とはキリスト教のシンボライズであり、イスラム勢力と戦った十字軍とも関係しています。

騎士団の紋章で有名な「マルタ十字」というものが存在しますが、元来はマルタ騎士修道会(ホスピタル騎士団)が用いたものでした。

彼らはエルサレム巡礼の際に病気になった巡礼者たちのために、黒字に白抜きの十字が入ったマントを着て病者の救済や看護にあたり、戦闘の時には赤い十字のマントをはおりました。

現在の病院のマークが十字なのもそのためです。だから十字の紋章は「愛護」と「勇敢さ」二つの意味があるのですね。世界各国の国旗をみても、十字が入っているものが非常に多いことに気づきます。

4-2.勇敢さと力のあかし「鉄十字」

ドイツにおいても中世以来、この十字が頻繁に用いられていました。中世ヨーロッパにおいて三大騎士修道会として知られるチュートン騎士団においても「勇敢さと力のあかし」として「盾に十字の紋章」が使用され、現代に至っています。

また、プロイセン王国ではフランスからの解放戦争で功労者に対して勲章が授与され、それ以来ドイツにおいて戦功のあった者には黒十字を白で縁取った「鉄十字章」が授けられることが慣習となったのです。

それは第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも変わることはなく、実は現代のドイツ軍でも正式な勲章として認められているのですね。

4-3.ドイツの負の遺産「ハーケンクロイツ」

ナチス・ドイツ時代の象徴として知られる「ハーケンクロイツ(鉤十字)」。宗教や学説的に用いる場合以外は忌避される傾向にあり、まさにドイツの負の遺産ともいえる紋章なのですが、元来の意味は全然違いました。

ナチス党が使用する5千年も前から用いられ、本来は「幸福」や「幸運」という意味を持つ紋章だったのです。

19世紀後半にドイツの考古学者シュリーマンが古代トロイ遺跡においてこの「ハーケンクロイツ」を発見し、「この紋章はヨーロッパ人の遠い祖先が用いた宗教的象徴である」と学説を唱えました。

4-4.ナチスによって悪用された「ハーケンクロイツ」

20世紀に入ってヨーロッパではこの学説を受け、まさに「幸福」を意味するものとして鉤十字を多く用いるようになったのですが、ドイツ民族主義の高まりと相まって、ナチスは「純粋なアーリア人の象徴」として国旗としたのです。

自分たちがアーリア人の子孫であることを殊更に強調し、ユダヤ人やジプシー、スラブ人など他の人種を排撃することを正当化しようとしたのでした。

ナチスが倒れ、戦後になって「ハーケンクロイツ」を用いることは民衆扇動罪に当たるとして禁止となりました。ドイツ国民にとっては現在に至るまでハーケンクロイツは侵略やホロコーストの意味として忌避されるべき存在なのです。

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明石則実