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「関東軍」とは?日本を敗戦に追い込んだ軍事組織をわかりやすく解説

日露戦争後に日本陸軍の中国大陸進出を担った関東軍は、その政府の言うことも聞かない傍若無人ぶりで、満州事変、日中戦争へと日本を追い込んでいった軍事組織でした。日本を戦争に導き、ついには屈辱の敗戦をもたらした関東軍と日本陸軍について解説します。

満州事変から日中戦争に追い込んだ関東軍とは

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関東(かんとう)軍は、最初中国の清国から日露戦争後のポーツマス条約で割譲を受けた遼東半島先端の旅順、大連などの関東州の守備のために置かれました。それと南満州鉄道(満鉄)の周辺地域の警備を目的に部隊が設置されたのです。すなわち、その地域の守備を任務とした関東都督府の守備隊から始まっていました。

司令部は当初は旅順に置かれていましたが、1919年に独立し、満州事変後には、司令部は傀儡政権なった満州国の首都となった新京(現在の長春市)に移転しています。当初の軍事組織の編制では独立守備隊6個大隊を持っており、そのほかに2年交代で日本から派遣された1個師団からなっていました。そのため、最初は小規模な駐屯軍であったものの、野望の膨らみとともに組織も拡大していったのです。

関東軍の名称の由来はどこから?

関東軍の名称は、日露戦争後に租借地になった中国関東州に由来しています。中国での関東は、万里の長城を東端とした満州(現在の中国東北部)を意味していました。したがって、日本の関東地方とはまったく関係がありません。

この、関東軍は、日本陸軍の長年の夢である中国大陸への進出を実現するために設けられたものでした。彼らは、計画に沿って満州への進出からさらに中国中心部への侵略行動をおこない、結果的に当時の日本政府の協調外交を崩壊させたのです。最終的には第二次世界大戦での敗北に追い込んだ張本人と言えます。

この関東軍とその背後にいた日本陸軍について見ていくことにしましょう。

関東軍と日本陸軍の背景

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長州出身で、維新の英雄の一人であった山県有朋が1873年に徴兵制徒ともに創設した日本の帝国陸軍は、西郷隆盛が率いた西南戦争に勝利してその力を見せつけます。そのあとには、朝鮮半島に狙いをつけ、江華島事件から侵略を開始し、朝鮮の宗主国であった中国の清国との対立を経て、日清戦争の勝利で朝鮮進出を実現させたのです。

日清戦争によって遼東半島を割譲されたことから、日本陸軍では中国本土に対する野望が膨らみます。一時的にロシアなどの三国干渉によって遼東半島は返還したしたものの、ロシアとの日露戦争に勝利して、中国への進出の野望は大きく広がったのです。

ポーツマス条約によって、正式に遼東半島先端部の旅順、大連と南満州鉄道(満鉄)の租借を得て、日本陸軍は関東州の守備を名目に陸軍を派遣し、関東軍組織を立ち上げたと言えます。

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