日本の政党内閣も手に負えなかった関東軍
関東軍を派遣した日本陸軍は、朝鮮半島を植民地化したあと、朝鮮総督府に陸軍出身の寺内 正毅(のちに総理大臣)を送り込みました。この関東軍と朝鮮総督府が朝鮮半島で略奪を繰り返して得た資金は、関東軍の満州進出の資金源となったと言われています。当時は、長州閥と陸軍派閥出身の桂太郎と、政党出身の西園寺公望が交代で政権を持っていましたが、朝鮮半島の略奪は三・一事件まで抑えられませんでした。その後も、関東軍は強引な手法で満州進出をおこない、満州の中国軍伐の張作霖と戦いを展開したのです。
盧溝橋事件から日中戦争になっても首相の近衛氏は軍部のいいなり
盧溝橋事件の際に、首相をしていた公家出身の近衛文麿は、関東軍と陸軍を抑えられず、逆に大政翼賛会を率いたり、国民総動員法などを設立したりするなど軍部よりの政策をとり、戦後の批判を浴びています。
そして、それ以降、日本は長い戦争の時代を迎えることになり、ついにはアメリカに宣戦布告し、太平洋戦争へと突き進んでいったのです。
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シビリアンコントロールを失っていた大日本帝国
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このように、日本陸軍とその先頭に立った関東軍は、第二次世界大戦に日本を引きずり出して、ついに敗戦をもたらしてしまったのです。
その原因には、戦前のわが国にはシビリアンコントロール、すなわち文官による軍隊の統制がおこなえなかったことがありました。すなわち、田中内閣も、若槻内閣も軍部の力を恐れて抑えることはできず、抑えようとした犬養首相は凶弾に倒れたのです。
これらを許した原点は、やはり山県有朋が作った軍部大臣現役武官制度にあったと言えます。陸軍は気に食わなければ、陸軍大臣を送り出すことを拒否すれば、内閣は成立しなかったのです。これを許した戦前の大日本帝国憲法の一番の欠陥だったと言ってよいでしょう。
現在の政府になってから、同盟国との共存主義を法律化して、いつでも戦争ができる国にしてしまっています。これは、戦前と同じようにいざとなったとき、シビリアンコントロールが効かない可能性を我が国は持ったと言わざるを得ないのです。
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関東軍の過ちを繰り返してはいけない
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現代の世界は、いつ戦争が起きても不思議ではない状況になりつつあります。東アジア、中東は第一次世界大戦前の「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島状況に似ていると言えるのです。このような状況のなかでは、再び関東軍のような存在があれば、日本も戦争に引き込まれてしまいます。きちんとシビリアンコントロールの効く国であることを祈るばかりです。
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