幕末日本の歴史江戸時代

榎本武揚ら旧幕府軍が蝦夷地に作った「蝦夷共和国」を元予備校講師が分かりやすく解説

江戸時代、現在の北海道にあたる地域は蝦夷地と呼ばれていました。蝦夷、すなわちアイヌ人が居住する地域という意味ですね。江戸開城に伴い、新政府軍に引き渡されるはずの開陽以下の旧幕府艦隊は品川沖を脱走して北走。東北で敗残兵を収容しながら蝦夷地に向かい、函館市にある五稜郭を占領します。こうして、いわゆる蝦夷共和国ができました。新政府は当然、蝦夷共和国を国家として認めず軍を派遣します。今回は、短命に終わった蝦夷共和国成立の背景と経緯、終焉について元予備校講師が分かりやすく解説します。

蝦夷共和国成立の背景

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1867年、15代将軍徳川慶喜は大政奉還を実施し朝廷に政権を返上しました。朝廷は王政復古の大号令を行い、新政府を樹立。慶喜に内大臣の官職と領地の返納を要求します。これに不満な旧幕臣は慶喜を突き上げ京都に進撃。戊辰戦争がはじまりました。鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が新政府軍に敗れると慶喜は大坂城を脱出。新政府軍が江戸に迫ると、一戦も交えることなく江戸城を明け渡しました。これに納得できなかった榎本武揚率いる旧幕府艦隊は品川沖から脱走します。

戊辰戦争の始まり

1868年1月、京都に向けて集結していた旧幕府軍は京都周辺を警備していた薩摩藩軍と衝突。鳥羽伏見の戦いが始まります。鳥羽方面では薩摩軍の奇襲を受けた旧幕府軍は混乱。一時撤退します。

伏見方面では薩摩・長州軍の防衛ラインに土方歳三率いる新選組会津藩兵が突撃を仕掛けますが突破できません。それどころか、薩摩・長州軍に伏見奉行所まで攻め込まれ敗走します。旧幕府軍は3倍もの兵力を持ちながら有効活用できず、薩摩・長州軍に勝利することができません。

1月4日、新政府軍が錦の御旗を立て官軍であることが明白になりました。伏見方面から敗走した旧幕府軍は譜代大名稲葉家が治める淀城で態勢立て直しを図ります。しかし、淀藩は旧幕府軍の入城を拒否。進退窮まった旧幕府軍は大坂方面に潰走しました。

慶喜の大坂城脱出と江戸開城

鳥羽伏見の戦いのとき、徳川慶喜は大坂城にいました。慶喜は部下を鼓舞し、大坂城での決戦を訴えます。ところが、徹底抗戦を訴えた慶喜は少数の側近や会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬らを従え大坂城を脱出しました。

総大将である慶喜の脱出を知った大坂城内の旧幕府軍は戦意を完全に喪失。あるものは国本に帰り、あるものは江戸に向けて旅立ちます。旧幕府軍は雲散霧消してしまいました。

江戸にもどった慶喜は勝海舟に事態収拾を命じ、自らはひたすら恭順の意を示します。江戸に迫った新政府軍は江戸城総攻撃を考えていましたが、勝海舟と西郷隆盛の会談で江戸総攻撃は回避となり、江戸城は新政府軍に明け渡されました

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