幕末日本の歴史江戸時代

榎本武揚ら旧幕府軍が蝦夷地に作った「蝦夷共和国」を元予備校講師が分かりやすく解説

榎本艦隊の品川沖脱走

徳川慶喜の降伏と江戸開城に対し、すべての旧幕臣が賛同したわけではありませんでした。1868年7月4日、寛永寺に立てこもっていた旧幕臣らからなる彰義隊は新政府軍と開戦。大村益次郎の指揮と佐賀藩が保有するアームストロング砲の威力の前に敗北します(上野戦争)。

そのころ、榎本武揚旧幕府艦隊の脱走計画を準備していました。榎本の動きを察した勝海舟は、軽挙妄動を慎むべしと榎本に通達します。8月15日、徳川慶喜の跡を継ぎ家督を相続した徳川家達が駿府に向かい、戦後処理が一段落つきました。

8月19日、榎本は上野戦争後も新政府と戦うべきだと考えた旧幕臣たちとともに品川沖から脱走します。榎本が率いたのは開陽回天蟠竜、千代田形、神速、美賀保、咸臨、長鯨の8艦でした。

蝦夷共和国成立の経緯

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品川沖を脱走した榎本艦隊は仙台に立ち寄り、奥羽越列藩同盟とともに戦った土方歳三ら新選組や旧幕府伝習隊、仙台藩からの脱藩者などを収容し蝦夷地に向かいます。蝦夷地にたどり着いた旧幕府軍は蝦夷地に上陸し、箱館五稜郭を占拠。蝦夷地を支配下に収めます。蝦夷地統治の仕組みを整えた榎本らは選挙により役職を任命しました。開港地だった箱館には各国の領事館などがあったので、榎本はそれらを通じて外交交渉も行います。

奥羽越列藩同盟の敗残兵を収容し、蝦夷地へ

榎本率いる旧幕府脱走艦隊は東北地方に立ち寄り、奥羽越列藩同盟を支援しようとします。奥羽越列藩同盟は仙台藩を中心につくられた東北諸藩の同盟でした。1868年5月から新政府軍と奥羽越列藩同盟軍の戦闘が始まります。

東北方面の戦闘は会津戦争北越戦争での敗北により、奥羽越列藩同盟軍の劣勢は明らかになっていました。榎本艦隊が仙台にたどり着いたとき、戦局は既に決しており仙台藩は降伏を決めます。榎本は仙台藩主に翻意を迫りましたが拒否されました。

そのため、榎本は桑名藩主松平定敬大鳥圭介土方歳三旧幕府伝習隊、仙台藩から脱藩した額兵隊などを艦隊に乗せ、仙台を去ります。榎本らは艦隊の針路を北へ取りました。向かう先は蝦夷地・箱館です。

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