教養歴史

伊達政宗~3代将軍家光の時代まで生きた最後の戦国大名~

独眼竜の異名で知られる戦国大名、伊達政宗。若くして東北の名門、伊達家に生まれた政宗は20代の若さで東北一の大大名にのし上がった若き英雄です。幼いころに天然痘で右目を失うも、若さと覇気でそれを乗り越える力強さは後世の多くの人を魅了しました。その一方、豊臣政権・江戸幕府と目まぐるしく変化する時世に対応し、仙台藩60万石の基礎を築き上げ、国内統治に長けた名君でもありました。勇猛果敢な戦国武将と国を豊かにする統治者。この二面を併せ持つ伊達政宗について紹介します。 この記事の目次 政宗の誕生から家督相続まで 奥羽のサラブレッド 伊達政宗 天然痘で片眼を失明 虎哉宗乙(こさいそういつ)との出会い 結婚、初陣、家督相続 戦国大名 伊達政宗 父、輝宗の死 人取橋の戦い~政宗、老将鬼庭左月の活躍でピンチを脱する~ 摺上原(すりあげはら)の戦い~会津平定戦~ 小田原参陣~豊臣秀吉への臣従~ これぞ伊達者!~朝鮮出兵で見せた戦装束とは~ 関ヶ原の戦い、その時、政宗は? 仙台藩主、伊達政宗 仙台築城と領国経営 慶長遣欧使節と大坂の陣 最後の戦国大名、伊達政宗の死 政宗の誕生から家督相続まで image by ...
教養歴史豆知識・雑学

四面楚歌の由来~項羽と劉邦、二人の英雄の物語~

四面楚歌は周りが敵だらけで助けがない孤立無援の状態であることを意味しています。この言葉の由来は今から2200年前の故事。司馬遷の『史記』に描かれた二人の英雄の戦いがもとになっています。二人の名は項羽と劉邦。司馬遼太郎の作品でも有名ですよね。二人の力の差は歴然としていて、項羽の圧倒的優位でした。ところが、最終的には劉邦が大逆転して項羽は「四面楚歌」の状況に置かれてしまいます。今回は、四面楚歌の由来となった項羽と劉邦の戦い全体と四面楚歌の場面について解説します。
教養歴史

いまさら聞けない摂政と関白の違い!実は現代も摂政は置ける!?

中学校の歴史の授業で「摂関政治」ということばをならったと思います。これは、天皇が幼いときは摂政が、天皇が成人した後は関白が天皇を補佐して行う政治と説明されていましたね。もっとも有名な人物として藤原道長やその子の頼通を教わったと思います。実は、今でも摂政を置くことができることはご存知でしたか?今回は、知っているようでいて意外と知らない摂政と関白の違いについてご紹介します。
教養歴史

中世ヨーロッパの大事件、カノッサの屈辱

カノッサの屈辱。この事件名だけでも十分インパクトがありますが、その内容はさらに驚くものです。時は11世紀、キリスト教会のトップである教皇グレゴリウス7世と中世ヨーロッパでもっとも大きな国である神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世が対決し、ハインリヒが屈服した大事件です。雪の中、カノッサ城の前で三日三晩ひざまずく皇帝とそれを見下ろす教皇。ドラマチックな名場面ですが、事件の背後には何があったのでしょう。今回はカノッサの屈辱の概要について紹介します。
教養歴史豆知識・雑学

臥薪嘗胆の由来になった呉越の争いと今に生きる教訓とは

昔あった事柄を題材として出来上がった言葉を故事成語といいます。故事成語の一つで四字熟語でもある「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」は漢字を見ただけでは意味が想像しにくい言葉ではないでしょうか。臥薪嘗胆の出典は古代中国の歴史書『史記』や『十八史略』で、呉と越の争いを描く中で生まれた言葉でした。マンガ『キングダム』の時代のさらに数百年前におきた呉越の争いを紹介しつつ臥薪嘗胆の由来を解説します。
教養歴史

一からわかる戊辰戦争と箱館戦争

箱館戦争とは、幕末の1869年におきた新政府軍と旧幕府軍の戦いです。前年の鳥羽伏見の戦いを皮切りに始まった戊辰戦争の最終決戦でもあります。日本史の教科書では五稜郭の戦いとして教えられますね。各地の戦いに敗れた旧幕府軍は幕府海軍を引き連れて脱走した榎本武揚が占拠する蝦夷地・五稜郭を目指しました。そして、この地で新政府軍と旧幕府軍の最後の決戦が行われたのです。今回は、箱館戦争を戊辰戦争全体と関連させつつ、紹介します。
教養歴史

『三国志演義』随一の義将、関羽の生涯

特に三国志の世界で「義」といえば何といっても関羽でしょう。姓は関、名は羽、字は雲長。劉備・張飛と桃園の誓いで義兄弟となりました。彼の生き方は敵である曹操をも魅了しました。その反面、そのプライドの高さが災いし悲劇的な最期を迎えました。今回は三国一の義将にして、現代のゲームでも有名な関羽の生涯を追いかけます。
教養歴史

「黄金王」豊臣秀吉と「数寄者」千利休の歴史

奈良県から和歌山県にあたる地域を治めた秀吉の弟、豊臣秀長は九州の戦国大名の大友宗麟に「内々の儀は宗易(千利休のこと)、公儀の事は宰相(秀長のこと)存じ候、御為には悪しき事はこれあるべからず候」と伝えたといいます。豊臣政権のナンバー2と同列に扱われた千利休。彼と豊臣秀吉はどんな関係だったのでしょうか。
教養歴史

はじめての「三国志」~あらすじと心に残る名場面~

今からおよそ1800年前。あまたの英雄たちが壮大な中国大陸の覇権を握るため、生死をかけて競い合いました。やがて、曹操・劉備・孫権の3人の英雄が中国大陸を3つに分けて支配し、互いに中国全土の支配を目指します。後漢王朝の末期におきた黄巾の乱から晋による三国統一までのおよそ100年間が三国志の時代でした。今回は三国志のあらすじや英雄たちの生き様、心に残る名場面を解説します。
教養歴史

聚楽第~豊臣秀吉が建てた幻の豪華建築~

京都には今も豊臣秀吉の痕跡が残っています。秀吉ゆかりの京都伏見稲荷神社、醍醐寺三法院。これらのように現存する建物も数多くあります。実は、これらの建物よりもひときわ豪華絢爛な建物が京都に作られていました。聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)です。現在では跡形もなくなってしまったこの建物。いったい、どんな建物だったのでしょうか。