室町時代戦国時代日本の歴史

刀に魅せられて【戦国武将を彩ったさまざまな名刀】

ここ最近人気急上昇中の日本刀。今では擬人化のゲームのお陰で刀が展示されている博物館に足を運ぶいわゆる『刀剣女子』という人たちが増えているとか。そこで今回はそんな人気急上昇の刀の中でも特に素晴らしい刀である天下五剣と戦国武将が愛用した刀について解説していきたいと思います!

刀の実用性は低かった⁉

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刀といえば武士たちが互いに勝負して首を取り合うというのが時代劇でも、イメージ的にも思われていますが、戦国時代に突入すると刀を使うことはまずなくなっていき、戦争の主役といえば攻撃範囲が長く敵を倒しやすい槍か、当時重宝されていた弓などが使われ、そのほかにも手軽に相手にダメージを与えられる石や、戦国時代後期に入っていくと外国から伝来してきた鉄砲などが使われていました。

戦国時代の刀はそれを使って戦うのではなく、当時の茶道具と同じように美術品と同じような扱いを受けていたのです。まぁ、非常時には使いますけどね。

天下無双の至宝の刀【天下五剣】

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日本には古来よりざまざまな名刀が生まれていきましたが、その中でも特に傑作であり戦国大名が喉元から手が出るように欲しいいわゆる天下五剣と呼ばれる刀が存在していました。まずはそんな天下五剣を紹介していきたいと思います。

鬼を斬った天下五剣の最高傑作【童子切安綱】

最初にご紹介するのは童子切安綱。名前に童子切と書いてありますが、この童子は平安時代に大江山を拠点に暴れまくっていた酒呑童子の事で、この刀は源頼光とその四天王が酒呑童子を斬り倒した時に使ったと言われています。これだけでも結構な実績を持っている刀ですが、この刀の伝説はそれだけにはとどまらず、江戸時代に試し斬りを行わせたところ童子切は6人の死体をいとも易々と真っ二つに。さらには土台までその切り込みが到達するなど切れ味はまさしく最高傑作と言える逸品です。戦国時代では室町将軍家から豊臣秀吉へ、さらに徳川家康へと渡り最終的には津山藩主の松平家の所蔵品となりました。

そんな童子切安綱は明治時代に入ると津山藩から文化庁に渡され、今では上野の東京国立博物館にて大切に保存されております。

得宗を守った皇室のお宝【鬼丸国綱】

次にご紹介するのは鬼丸国綱。これも名前に鬼が入っていることもあって勘のいい方ならわかるかもしれませんが、この刀も鬼に関係しているのです。時は鎌倉時代後期、当時の政治のトップであった得宗の北条時頼は毎日夢に出てくる鬼に苦しめられていました。そんなある日、またまた、夢を見るとなんとその時は鬼は出ずにお爺さんが現れて「国綱を修復して鬼を退治するのじゃ」と助言があり、半信半疑そのとうりにするとなんと鬼が現れなくなったのでした。これに驚いた北条時頼はこの夢に出てきて修復した刀に鬼丸国綱と名付け、これ以降北条家の家宝として扱われるようになりました。そして時代が降り1333年に北条家が滅亡すると、鬼丸国綱は足利将軍家に渡り、さらに戦国時代に入ると豊臣秀吉の家宝として受け継がれていきました。

そんな天下人の刀となった鬼丸国綱でしたが、大坂の陣で豊臣家が滅亡するとこの鬼丸国綱は本阿弥家を経由して天皇家の家宝(御物)となり現在に至っています。そのため残念なことに一般公開はされておりません。企画が開かれて公開される時を待ちましょう。

将軍を奮起させた古参の刀【三日月宗近】

次にご紹介するのは天下五剣の中でも最も古い刀である三日月宗近です。名前を見ると三日月という文字がありますが、これは刀の形が三日月を連想させるから付けられたものでそれぐらい反りが強いものでした。そんな刀が活躍したのが室町時代後期に起こった大事件、永禄の変の時です。永禄の変とは室町幕府第13代将軍足利義輝を松永久秀が襲った事件なんですが、この時剣術に自信があった義輝は室町幕府秘蔵の刀であった三日月宗近を畳に刺し奮戦していました。結果的には暗殺されることになるのですが、将軍の威信をかけて義輝はこの三日月宗近とともに奮戦していたのです。

そして永禄の変の後、三日月宗近は秀吉の正室である高台院の手に渡り、その後徳川家所蔵の名刀として今に至っています。

怨霊から秀吉を守った刀【大典太光世】

次にご紹介するのは大典太光世です。この刀は戦で使われたというよりかは魔除けとして使われた刀でした。時は戦国時代後期、豊臣秀吉の家臣でのちに加賀百万石の基礎を作る戦国武将であった前田利家は娘の豪姫が病に伏せて困っていました。そんな事態を気にかけた秀吉が「この大典太光世を豪姫の枕元に置いて怨霊から守ったらどうだ」とこの刀を差し出しました。利家は早速この刀を使って豪姫の枕元に置くとなんとなんと病が一転治ってしまったのです。これに驚いた利家はこの刀を封印。霊刀として恐れられることになったのです。

日蓮宗を守った刀【数珠丸】

最後の刀は数珠丸恒次です。この刀は戦国時代に使われたというよりは鎌倉時代の時に日蓮宗を開いた日蓮というお坊さんの守り刀であり、日蓮宗の総本山である身延山久遠寺にて大切な形見として扱われていました。そのため戦国武将が使ったのではなく、日蓮宗を守るために存在しているみたいですね。

ちなみに、この数珠丸恒次はその後行方不明になり今ではそれを発見した本興寺という寺が所有しております。

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