幕末日本の歴史江戸時代

榎本武揚ら旧幕府軍が蝦夷地に作った「蝦夷共和国」を元予備校講師が分かりやすく解説

新政府軍との決戦、箱館戦争

宮古湾海戦に敗れ、甲鉄の奪取に失敗した旧幕府軍は蝦夷地で新政府軍を迎え撃つことになりました。一方、新政府軍は弘前藩や松前藩、長州藩などを主力とする8,000の兵力を青森に集結し、蝦夷地上陸の機会をうかがいます。

1869年4月6日、山田顕義率いる部隊が日本海側の乙部に上陸。旧幕府軍から江差を奪還しました。4月12日には黒田清隆率いる部隊が江差に上陸。松前・木古内・大野など3方面に分かれて箱館を目指しました。旧幕府軍は土方歳三などを中心に新政府軍と互角の戦いをしますが、兵力差はいかんともしがたく、戦線を維持できなくなります。

新政府軍は箱館湾の制海権を握るべく、艦隊を箱館湾に突入させました(箱館湾海戦)。宮古湾海戦でも奮戦した回天をはじめとする旧幕府艦隊は果敢に砲撃戦を挑みますが、新政府軍の艦隊を撃退することはできません。蝦夷共和国の敗色は濃厚となります。

榎本の降伏と蝦夷共和国の終焉

箱館湾の制海権を奪われた旧幕府軍は艦隊からの砲撃をまともに受けてしまいます。その結果、箱館市街地を維持することはできず、五稜郭と弁天台場が分断されました。土方歳三は孤立した弁天台場を救出するため出陣しますが、一本木関門付近で狙撃され戦死します。

5月12日、箱館湾上の甲鉄に搭載されたアームストロング砲による砲撃が五稜郭を襲いました。同日、新政府軍参謀の黒田清隆は榎本らに降伏を勧告。榎本は幹部たちと協議の上、降伏勧告を拒絶します。

しかし、榎本は降伏勧告の使者に一冊の本を託しました。その本の名は『海律全書』。榎本がオランダ留学時に手に入れた海のことに関する国際法や外交などについてまとめた本です。榎本は戦争で焼かれてしまうのは惜しいと考え、黒田に託しました。

5月18日、再度の降伏勧告に従い、蝦夷共和国は降伏。五稜郭は武装解除され、箱館戦争が終結しました。これにより、鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争も集結します。

蝦夷共和国は滅んでも、榎本は日本の発展に力を尽くした

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鳥羽伏見の戦いに始まる旧幕府勢力と新政府の戦いは、箱館戦争で終結しました。戊辰戦争は日本国内最大規模の内戦で、東日本各地が戦場となり多くの人々がなくなります。戦争後、榎本ら幹部は東京の牢獄に入れられましたが、明治5年に釈放されました。釈放後、榎本は新政府の外務大臣などに任じられ、海外通としての知識を生かします。戊辰戦争において戦った新政府軍も旧幕府軍も、日本を欧米列強に対抗できるようにしようという共通の志を持っていたからこそ、彼らは戦後に手を組むことができたのではないでしょうか、

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