ヨーロッパの歴史

国家が最も栄えた時期「黄金時代」とは?栄光の歴史・その後は?

世界を震撼させた戦闘国家【モンゴル帝国】

13世紀初頭のアジア地域で大勢力となったモンゴル帝国といえば、創始者のチンギス・ハンがあまりにも有名ですが、その最盛期を築いたのはチンギスの跡を継いだ2代目オゴタイ~5代目のクビライたちでした。

確かにチンギスはモンゴルの諸部族を統一した後、中国大陸の金や栄といった国家群を次々に攻略し、中東地域のホラズム帝国を滅ぼしましたが、跡を継いだオゴタイもまた西へと覇権を広げ続けてモンゴル帝国の最大版図を築いています。

オゴタイ自身が大軍を率いて遠征することはありませんでしたが、有能な親族たちを指揮官として各地を転戦させました。特に甥のバトゥの活躍は目覚ましく、1237年にロシアへ侵攻を開始しています。

たった数年の間にロシアを席巻したモンゴル軍は、東ヨーロッパに狙いを定め、ワールシュタットの戦いモヒの戦いなどで圧倒的な強さを発揮。ヨーロッパ全域を恐怖のどん底に叩き込みました。その直後、オゴタイが亡くなったため脅威は去りますが、モンゴル軍の恐怖の記憶は長らくヨーロッパ人たちに刻み込まれることになりました。

第4代ハンのモンケの時、弟のクビライフラグらを各地へ遠征させ、現在のベトナムやイラクの攻略に当たらせます。特にアッバース朝(イラク)の首都バクダードは徹底的に破壊され、長い間復興されることはありませんでした。

そして第5代ハンのクビライの時代、1276年に南宋を滅ぼして中国大陸を事実上征服し、その余勢をかって朝鮮半島の高麗やビルマ、ベトナムなどを支配下に置きました。ここまでがモンゴル帝国の黄金時代だといえるでしょうか。

しかし東西に広範な領土を持っていたことが大きな失敗となりました。14世紀半ばに黒海沿岸で流行したペストは、東西交易の経路を通って蔓延していき、ヨーロッパでは黒死病として人口の60%を死亡させ、モンゴル帝国においても夥しい死者を出すことになったのです。

一節には、東南アジア遠征から帰還した兵士たちとともに保菌したノミも移動し、中央平原に暮らすネズミたちが媒介となって一気にペストが流行したともされていますね。

このため大ハーンの血統が多く死に絶えたともされており、有力者たちの後継争いによる分裂や各地での独立運動の高まりに伴って、モンゴル帝国は急速にその力を失っていくことになりました。

日本史に登場する武家政権の黄金期について

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日本の皇帝といえば天皇ということになりますが、日本の皇室は世界でも稀有な、単一王朝として連綿として続いてきたものです。しかし実際に800年にわたって政権を掌握していたのは武家であって、「幕府」という名のもとにそれぞれが黄金時代を築いてきました。

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明石則実