なぜ私たちの社会は「民主主義」なのか?選挙に行く前に知っておきたい「民主主義」の歴史
- 民主主義は古代ギリシアで始まった
- 古代ギリシアの民主主義1・市民全員が議会に参加した!
- 古代ギリシアの民主主義2・市長は「くじ引き」で決まった!?
- 古代ギリシアの民主主義3・評判が悪かった「民主主義」
- 近代ヨーロッパで復活した「民主主義」
- 近代ヨーロッパの民主主義1・「啓蒙思想」による民主主義の復権
- 近代ヨーロッパの民主主義2・フランス革命とアメリカ独立革命
- 近代ヨーロッパの民主主義3・イギリス流の議会制民主主義
- アメリカの民主主義1・「三権分立」と「大統領制」
- アメリカの民主主義2・奇妙な「選挙人制度」
- 日本の「民主主義」はいつ始まった?
- 日本の民主主義1・戦前に「民主主義」はなかった?
- 日本の民主主義2・「民主主義」はアメリカの押しつけ?
- 近代的な民主主義の意味
この記事の目次
民主主義は古代ギリシアで始まった
民主主義は古代ギリシアのアテネで始まりました。このことは高校の世界史で教わった人も多いと思いますが、実は当時の民主主義は今の私たちがイメージする民主主義とはだいぶ違ったものだったのです。そこでまずは、人類が初めて手にした民主主義はどんなものだったのかを見ていきましょう。
古代ギリシアの民主主義1・市民全員が議会に参加した!
古代ギリシアのアテネでは、市民が戦争に参加して都市を守ったことで発言権が強くなって、王や貴族による政治から市民が話し合って物事を決める民主政治が始まりました。市民が直接、政治に参加するため、この制度を「直接民主制」といいます。「民会」という議会が開かれたんですが、今でいう国会議事堂のようなものはなくて、プニュクスの丘というところにアテネの市民が全員集まったんですね。
この丘には最大2万人の人が集まることができたといいます。昔はマイクなんてありませんから、大声でわいわいがやがや話し合ったのでしょう。そして、他国との戦争や同盟といったアテネの運命を決める大事なことについて議論していたんです。これが人類にとって、「民主主義」の原風景となりました。
古代ギリシアの民主主義2・市長は「くじ引き」で決まった!?
面白いのは、アテネでは重要な役職を「くじ引き」によって決めたということです。軍事のプロである将軍だけは別ですが、それ以外の市長にあたる職や裁判官などの公職は希望者の中から抽選で選ばれたのですね。これはくじ引きによる抽選は神様が決める神聖なものだから、みんな従うべきだという思想が背景にありました。抽選で決めたら能力のない人や悪い人が重要な役職につくんじゃないかと心配になりますよね。でも、公平な抽選ならば権力が一人に集中する心配はありませんし、政治腐敗も起こらないという意味もあったのです。また、貧しい市民のために公職には給料が支払われることになりました。「くじ引き」と「給料制」によって、アテネの民主主義は成り立っていたわけです。
ただ、市民全員が政治に参加するいっても、参加資格があったのは「18歳以上の男子」だけで、女性や奴隷、外国人は参加できないという決まりでした。本当の意味で全ての人が参加できるわけではなかったことには注意が必要です。
古代ギリシアの民主主義3・評判が悪かった「民主主義」
ところが、アテネの民主政治は当時の偉人たちにボロカスに悪口を言われています。たとえば有名な哲学者のプラトンは民主主義にかなり否定的です。それというのも、プラトンの師匠のソクラテスが抽選で選ばれた裁判官によって死刑にされてしまったから。プラトンは民主主義は「衆愚政治」、つまり愚かな民衆が間違った道に進む危険性があるという批判をします。そして、哲学を学んだ知性も人格も優れた人物が王になるべきだという「哲人政治」を理想として掲げます(もちろんこれは理想であって、実現することはないのですが……)。このほかにアリストテレスなどの当時の偉大な学者たちも、民主主義の欠点を批判していました。
結局、古代ギリシアはマケドニア王国のアレクサンドロス大王によって征服され、民主政治は終わりを迎えます。その後のローマ帝国の時代になると、国の規模が大きくなりすぎて、もはや丘の上にみんなが集まって政治を行うというこが不可能になりました。こうして民主主義はしばらくの間、忘れ去られることになります。
近代ヨーロッパで復活した「民主主義」
中世のヨーロッパはローマ教皇の力が強く、皇帝でさえも教会に屈服せざるを得ないという時代でした。ところが近代になると、民主主義の思想が復活します。そしてフランス革命やアメリカ独立革命を経て、現代の私たちにもなじみ深い民主制の政治が出現するわけです。どうしてこのような変動が起きたのか、順を追って解説していくことにしましょう。
近代ヨーロッパの民主主義1・「啓蒙思想」による民主主義の復権
17世紀になると「啓蒙思想」という考え方が広まり、民主主義が再び脚光を浴び始めます。ホッブズという思想家は神が支配するというような国家理論を否定して、人民がお互いに契約して国家を作るという可能性を論じました。また、ジョン・ロックは「抵抗権」という権利を認めて、人々に危害を加えるような国家は革命でぶっ倒す権利があるんだということまで言っています。ルソーは人民の「一般意思」によって、直接国家を運営するという考え方を提唱。さらに、モンテスキューは独裁政治を生まないために、国家の機能を3つに分けて、お互いをけん制し合うという権力分立(三権分立)の制度を構想しました。
これらの思想は、人々の生きる権利、基本的人権を守るという考え方を生みました。国王や教皇の気まぐれによって人が殺されたり、財産を奪われたりしない、人民の権利を守るための国家として「民主主義」を復権させたのです。
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近代ヨーロッパの民主主義2・フランス革命とアメリカ独立革命
初めて近代的な民主主義を実現したのが1789年に起きたフランス革命でした。フランスの市民たちはブルボン王朝を倒して、議会による政治を実現します。その後、ロベスピエールの独裁、ナポレオンの皇帝就任、ブルボン王朝の復活などいろいろあって民主主義は何度も挫折しかけますが、最終的には国王や皇帝のいない共和制国家となりました。
そしてイギリスの植民地だったアメリカは、独立革命(独立戦争)によって1776年に独立。アメリカ独立宣言には人民主権、抵抗権、権力分立、大統領制などの考え方が盛り込まれています。ロックたちが考えた民主主義の思想が、アメリカで実現したわけです。
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