教養歴史

世界各地に壊滅的被害をもたらした黒死病・ペストとはどのような病気か

ルネサンス期のフランドル地方の画家であるブリューゲルは『死の勝利』と題した一枚の絵を描きました。骸骨の軍隊が生きている人々を襲い、人々はなすすべなく死の恐怖に屈します。豪華な甲冑をきた王も、緋色のマントを付けたキリスト教の高位聖職者である枢機卿も骸骨の軍団に対抗するすべはありません。ペストが大流行したヨーロッパでは死は身近なものだったのです。今回は黒死病・ペストについてわかりやすく解説します。

ペスト(黒死病)とは何か

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世界中に数ある伝瀬病の中でペストはとても知名度が高い病気です。全身に斑点ができて死亡することから黒死病とよばれたペストは、ヨーロッパの人口の3分の1を死に至らしめた禍々しい伝染病でした。そもそも、ペストとはどのような病気なのか、ペストにかかるとどうなってしまうのか、種類や感染ルートについてもまとめましょう。

ペストの原因菌とペストの種類

ペストを引き起こす病原菌はペスト菌です。ペスト菌は本来、森林や原野などに棲むげっ歯類の感染症でした。ペスト菌が常在する地域で森に入ったハンターや木こりがペスト菌を持ったノミに噛まれて感染することがあります。

ペストは症状によって三つに分類可能。一つ目は全体の80~90%を占める腺ペスト。腺ペストはノミに噛まれるなどして感染し、リンパ節の痛みや突然の高熱、頭痛、悪寒、筋肉痛などをひきおこします。二つ目は菌が全身に広がり急激なショック症状や四肢の壊死などをもたらす敗血症型ペスト。もう一つは腺ペストや敗血症型ペストの患者が肺炎を起こし、痰やせき・くしゃみなどから感染する肺ペストです。

特に肺ペストは潜伏期間が短く、ヒトからヒトへの感染が最も早く進む恐ろしい状態。発病後5時間で死亡した例もあり非常に危険です。

ペストの感染ルート

ペストは本来げっ歯類、特にクマネズミなどに多く見られる感染症でした。ネズミに寄生するノミが感染したネズミの血を吸い、感染したノミが別のネズミの血を吸うことによりネズミ同士で感染します。

人間がペスト菌を持つネズミがいる森に近づいたときや、森にいたネズミが人間の生活領域に侵入することでペスト菌を持ち込むこともあったでしょう。一度、何らかの形で人間に感染したペストは人間同士での感染を引き起こします。特に、肺ペストの患者が発生した場合は、爆発的に感染者が増えました。

人々が集住する都市でペストがもちこまれると、人々はペストの流行が収まるまで都市から逃げ出すくらいしか対抗策がありません。1350年前後のペスト大流行の際、フィレンツェから逃げ出した男女が郊外の邸宅に引きこもった時の様子を描いたのがボッカチオの『デカメロン』です。

ペストのパンデミック

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ペストは過去3回にわたって世界中で大流行しました。6世紀の東ローマ帝国で起きたユスティニアヌスのペスト。中世ヨーロッパ各地で流行したペスト大流行。そして19世紀末に香港など中国南部で大流行したペストです。ペストは狭い地域にとどまらず、あっというまに感染者を増やし多くの人々の命を奪いました。過去に起きたペストの大流行についてまとめます。

パンデミックとは何か

ある特定の病気が特定地域で流行している状態のとき、患者数は比較的少なく感染スピードも比較的緩やか。この状態をエンデミック(地域流行)といいます。風土病もエンデミックとみなしてよいでしょう。

しかし、患者数が拡大し感染範囲が広がると比較的広い地域で病気の流行が見られます。これがエピデミック(流行)の状態。ここまで拡大すると、流行の発生予測は困難になり、地域の医療体制では対応が難しくなります。

流行の規模がさらに大きくなり、世界的に流行するようになるのがパンデミック。パンデミックの例としては天然痘インフルエンザペストなどがあります。近年ではSARSなどもパンデミックになる可能性がありました。

6世紀に起きたユスティニアヌスのペスト

ヨーロッパで最初に記録されたペスト大流行は6世紀に東ローマ帝国で起きたペストの大流行です。時の皇帝ユスティニアヌスは東ローマ帝国最盛期の皇帝で、帝国の領土も最大となっていました。

この時、ペストはエジプトからパレスチナへ、そして首都コンスタンティノープルへと拡大。そこからさらにフランスやイギリスなどの西ヨーロッパにまで広がりました。皇帝ユスティニアヌス自身もペストに感染。皇帝は数か月の闘病で回復しましたが、国内では死者が相次ぎました。

流行の最盛期、コンスタンティノープルでは毎日5000から10000人の死者が出たとされます。古代のペスト流行は60年近く続いたとされ、帝国内の人口が減少し、農業生産が停滞しました。

中世ヨーロッパで大流行したペスト

中世ヨーロッパではたびたびペストが流行しました。たびたび発生するペストは人々にとって死を身近に感じさせるきっかけになります。「死は身近にあり、自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」といった意味合いの言葉である「メメント・モリ」の思想が流布するのもこのころです。

ペストがいったん流行すると王侯貴族や聖職者であろうと、一般の庶民であろうと、農村の農奴であろうとことごとく平等に感染しました。中世ヨーロッパでのペスト流行のピークは1348年。この時の大流行でヨーロッパの人口の3分の1が失われたとされます。モンゴル帝国の軍事行動で東洋のペストがヨーロッパに持ち込まれたのが原因でした。

人口の減少は労働力の不足をもたらし、農奴の地位を高めます。領主は農奴たちへの締め付けを強化したため、各地で農民反乱が勃発。封建制度が衰退するきっかけとなりました。このペストは近世になっても流行し続けましたが、19世紀には消滅します。

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