ドイツヨーロッパの歴史神聖ローマ帝国

西ヨーロッパの覇者「カール5世」を元予備校講師がわかりやすく解説

かつて、西ヨーロッパの半分と世界の半分を支配した人物がいました。16世紀前半に在位したカール5世。カール5世はヨーロッパ一の名門であるハプスブルク家の当主として、神聖ローマ皇帝、スペイン王など数々の称号を持ち西ヨーロッパの覇者となります。しかし、ドイツではルターの宗教改革に直面し、イタリア方面では最大のライバルであるフランソワ1世と激突しました。今回は、広大な領土を支配したカール5世の生涯について、元予備校講師が分かりやすく解説します。

大帝国の主となったカール5世

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カール5世は父方と母方から広大な領土を引き継ぎました。父方の祖父であるマクシミリアン1世からハプスブルク家の家督と神聖ローマ皇帝の位、ブルゴーニュ公領を、母方の祖父母であるカトリック両王からは中南米やフィリピンなどに広大な植民地を有するスペイン帝国を継承します。

父方の祖父、マクシミリアン1世

カール5世の父方の祖父は、中世最後の騎士といわれたハプスブルク家マクシミリアン1です。ハプスブルク家の最初の支配領土はオーストリアとその周辺でしたが、婚姻政策などにより徐々に領土を拡大しました。

マクシミリアンは現在のフランス東部からオランダ、ベルギー、ルクセンブルクなどを含むフランドル地方を支配していたブルゴーニュ公国の公女と結婚します。公女の父であるブルゴーニュ公がフランスやスイスとの戦いで戦死したため、マクシミリアンはブルゴーニュ公国の主となりました。

その後、マクシミリアンは婚姻政策を積極的に展開。スペインベーメンハンガリーの王家にハプスブルク家の血を入れることに成功します。

マクシミリアンの婚姻政策は功を奏し、最終的にスペイン、ベーメン、ハンガリーの王位はハプスブルク家のものとなりました。

母方の祖父母、カトリック両王

カール5世の母方の祖父母は、レコンキスタを達成したアラゴン王フェルナンド2と、カスティーリャ女王イザベルです。アラゴンとカスティリアは合同し、スペイン王国となりました。

レコンキスタを成し遂げたことで、フェルナンド2世とイザベルは「カトリック両王」と呼ばれるようになります。特に、イザベルはコロンブスの艦隊を支援したことでも知られていますね。

カトリック両王の時代、スペインは積極的な対外進出を行い、植民地帝国の基礎を作り上げます。また、フェルナンド2世はイタリア南部のナポリとシチリア島の支配者でもありました。そのため、イタリア進出を狙うフランスとたびたび対立します。

カールの出生と大帝国の相続

1496年、マクシミリアン1世の子で、ブルゴーニュ公となっていたフィリップとカトリック両王の娘であるフアナが結婚します。1500年、ブルゴーニュの宮廷があったガン(現在のヘント)で二人の子としてカールが生まれました。

父親と母親が母の実家であるスペインへと移り住むと、カールはネーデルラントに残され、叔母のマルグリットによって育てられます。

1506年、ブルゴーニュ公フィリップが急死すると、カールは6歳でブルゴーニュ公となりました。1516年、母方の祖父であるフェルナンド2世が死去すると、スペイン王となります。これにより、カールはスペイン、ナポリ、シチリア、スペイン領アメリカなど広大な領土を持つことになりました。

1519年、父方の祖父であるマクシミリアン1世が死去すると、オーストリアを中心とするハプスブルク家の領土を相続します。これにより、カールは西ヨーロッパの半分と新大陸という広大な帝国を一人で統治することになりました。

神聖ローマ皇帝カール5世

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マクシミリアン1世の死後、次の神聖ローマ皇帝になるためカールは皇帝選挙に立候補します。巨額の資金を投じて皇帝選挙の勝利したカールでしたが、ルターが始めた宗教改革への対応に追われました。トリエント公会議やシュマルカルデン戦争を経て、1555年にアウクスブルクの和議を結ぶことで、宗教対立をひとまず棚上げにすることに成功します。

神聖ローマ皇帝選出

ドイツを中心とした神聖ローマ帝国では、皇帝は選帝侯とよばれる大貴族・高位聖職者の選挙によって決められていました。カールは祖父であるマクシミリアンの跡を継いで神聖ローマ皇帝となるべく、皇帝選挙に立候補します。

カールは選帝侯たちの支持を取り付けるため莫大な金額を選挙工作につぎ込みました。工作資金は叔母であるマルグリットや南ドイツの豪商フッガー家から調達します。

1519年6月28日、フランクフルトで開かれた選帝侯会議によって、カールは神聖ローマ皇帝に選出されました。以後、神聖ローマ皇帝カール5となります。

カールはスペイン国王カルロス1でもあったので、スペイン国王と神聖ローマ皇帝はハプスブルク家が手にすることになりました。

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