フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史

世界で最も華麗で豪華な建造物「ヴェルサイユ宮殿」の歴史をわかりやすく解説

エッフェル塔やルーブル美術館と並ぶフランスの観光名所、ヴェルサイユ宮殿を知らない人はまずいないでしょう。世界一豪華な宮殿と称されることもある巨大建造物は、19世紀に美術館に改装され、内部の美しい調度品や絵画が市民に公開されています。日本では漫画『ベルサイユのばら』の人気とともに絢爛豪華な様子が知られるようになりました。建造されてからおよそ400年、ヴェルサイユ宮殿の波乱の歴史をたどります。

太陽王ルイ14世が築かせた絶対王政の象徴・ヴェルサイユ宮殿

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「1日じゃとてもまわりきれない」ヴェルサイユ宮殿を訪れた知人友人は、必ずといっていいほどそう呟きます。建造主はフランス国王にして絶大な権力を持ち太陽王と言わしめたルイ14世。国が傾くほどの費用と労力をかけ、他に類を見ない巨大宮殿を建てさせました。本当にフランスは傾いてしまうので浪費部分にばかり目が行きがちですが、以後の世界中の宮殿建築に大きな影響を与えています。良くも悪くもその影響力は絶大だったと言えそうです。

どんな宮殿なの?ヴェルサイユ宮殿の基本情報

歴史をたどる前に、ヴェルサイユ宮殿がどれほど豪華なのか確認しておきましょう。

まず特筆すべきはその広さ!敷地面積はおよそ1,000ha(ヘクタール)あるそうで、月並みですが東京ドームに換算するとおよそ220個分にもなります。東京都立川市にある昭和記念公園がすっぽり6個入る広さ、関西国際空港とほぼ同じ面積です。しかもこれは現在の広さで、フランス革命前のルイ王朝時代はこの10倍はあったといわれています。

敷地の中には、巨大な宮殿のほかに離宮が3つあり、広すぎて1日ではとてもまわりきれません。建設当時は何もなかったこの地に水を引き土を運び川を作って、まず土地を作るところから始めたといいます。工事費用は7000万リーヴルにもなったと伝わっていますが、見えないところにも相当な費用がかかっているはずです。

宮殿や庭園は建造後も頻繁に増改築が繰り返され、費用はさらにかさみ、フランスの国庫を圧迫していきます。やがてルイ王朝は傾き、フランス国民の怒りとともに革命の渦へと陥っていくのです。

<ヴェルサイユ宮殿>
場  所: イヴリーヌ県ヴェルサイユ(パリの南西およそ20㎞)
建 造 年   : 1624年(1661年~68年の間に2度増築)
敷地面積: およそ1,000ha(現存する敷地面積のみ)
宮殿概要: 全長およそ550m、部屋数700以上
世界文化遺産登録: 1979年(2007年拡張)

もとは不毛な荒野だった?ヴェルサイユ宮殿建設秘話

今でこそ豪華な宮殿のある土地として知られているヴェルサイユ地方ですが、もともとは野原と湿地が続く何もない場所でした。ブルボン朝第2代フランス国王ルイ13世はこの地方に、しばしば狩りに出かけていたといいます。ルイ13世は、フランス国民に絶大な人気を誇っていた大王アンリ4世の息子です。

1624年、ルイ13世はヴェルサイユに狩猟小屋の建設を命じます。初めは簡単な小屋だったようですが、次第に手を加え、庭園を備えた宿泊用の館に建て替えられていきました。

1643年にルイ13世が崩御し、まだ5歳そこそこの幼い息子のルイ14世が即位します。在位期間は72年。76歳でこの世を去るまで王朝の最盛期を謳歌しました。

ルイ14世が即位した頃は、周辺諸国との度重なる戦争などにより国全体が疲弊しており、重税を苦にした民衆や貴族の不満が爆発してパリが包囲されるという事件が起きます。若きルイ14世は先陣に立ってこの反乱を制圧したと伝わっていますが、この時の経験から、パリを離れて別の場所に居を構えたいと考えたようです。

当時の居城はルーブル宮殿で、パリの中心地にあります。現在、ルーブル美術館となっているあの場所です。ルーブル宮殿を拡張する計画もありましたが、ルイ14世は狩猟小屋のあるヴェルサイユへの遷都を推し進めました。しかしヴェルサイユは狩りをしに行く場所です。水の便も悪いし沼地や丘など土地の起伏があって王宮の建設には向いていません。

1661年、ルイ14世の鶴の一声で宮殿の建設が始まりました。10㎞以上離れたセーヌ川から水道橋をつないで水を引き、山を崩し沼を埋めて平地を造り、20年ほどの歳月をかけてヴェルサイユ宮殿が完成します。単に建物を建てるだけでなく、農園や運河、動物園などにも着手。太陽王は宮殿を囲む風景そのものを築くよう命じたのです。

ここに極まれり!絶対王政の象徴となったヴェルサイユ宮殿

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1682年、ルイ14世は正式にパリ・ルーブル宮殿からヴェルサイユへの遷都を行います。単に王族の居城というだけでなく、政治の中心もヴェルサイユに移しました。もともと何もなかった土地です。いくらでも場所はあります。巨大な宮殿の中には常時1万人以上もの役人や貴族たちが従事していたのだそうです。

1684年には、現在のヴェルサイユ宮殿観光の目玉ともいえる「鏡の間(回廊)」が完成します。幅10m、高さ12m、長さ75mにもなる巨大回廊には豪華なシャンデリアがいくつも輝き、壁や天井を美しい絵画が彩る、贅を尽くした回廊。当時は諸外国からの客人と謁見したり、謁見前の待ち合い室として使っていたようですが、時には盛大な儀式を行うこともあったようです。

その後も、大理石の離宮を完成させるなど、ヴェルサイユ宮殿の増改築は繰り返し行われていきました。

なぜこんな豪華な宮殿を建てたのでしょうか。

ルイ14世は幼い頃の経験から、フランスを強くすることを望んでいたと思われます。権力を一点に集中させ、教会や貴族たちからも議会の場を奪ってすべての権限を取り上げました。王ひとりが統治する絶対王政の国家がここに誕生します。新しい政治の中心地・ヴェルサイユを豪華にすることで、絶対王政を強調したかったのかもしれません。

輝き続けるヴェルサイユ宮殿と貧窮するフランス国民

ルイ14世は他国との戦争にも積極的に乗り出していました。戦争の費用も膨れ上がり、重税が庶民の肩に重くのしかかっていました。しかし、教会にも貴族にも、当然平民にも発言の機会はありません。

1715年、ルイ14世が崩御し、当時5歳の王子がルイ15世として即位します。ルイ14世にはたくさんの子供がいましたが、ほとんどが幼いうちに亡くなっていました。ルイ15世はルイ14世の曾孫にあたります。

ルイ15世の時代になっても、ヴェルサイユ宮殿の増改築は止まりません。ルイ14世時代からかさみ続けている費用が国庫を脅かしていましたが、それでも事態が変わることはありませんでした。

1774年、ルイ15世が崩御し、いよいよルイ16世の時代がやってきます。15世の孫であるルイ16世は、王座についたとき19歳という若さでした。妃は『ヴェルサイユのばら』で有名なあのマリー・アントワネットです。

ルイ16世も政治にはあまり加わらない王だったようですが、一方で国民の貧しさに心を痛める一面も持っていました。しかし時すでに遅し、ルイ16世が少しくらい節約しようが、フランスのお財布事情は悪くなる一方です。実際、ルイ16世も庭園の造り変えを命じたりと、やっていることは歴代の王とさほど変わりませんでした。

これに拍車をかけたのが、王妃マリー・アントワネットの浪費です。マリー・アントワネットは宮殿の広大な敷地内に建つプチ・トリアノンという城に移り住み、莫大な費用をかけて牧歌的な素朴な暮らしを始めます。周囲に農村を造らせ、農民たちを住まわせて、政務から離れて自身も子供たちと一緒に農作業を楽しむなど、のんきな生活を始めたのです。

フランス革命から現代へ~翻弄されるヴェルサイユ宮殿

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大胆な遷都と巨大な宮殿の維持は、想像以上にフランスという国を疲弊させていきました。ルイ14世時代から数十年間開かれることのなかった議会(三部会)が開かれることとなり、教会や貴族、平民たちも徐々に力を蓄え立ち上がっていきます。パリから離れたところにあるヴェルサイユ宮殿にも、時代の激しい波が押し寄せようとしていました。

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