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これだけは知っておきたい!幕末から明治に活躍した人物6選

江戸時代から明治時代へ、近代日本の夜明けを支えた幕末の偉人たち、大勢いますよね。あまりにも大勢いすぎて、名前と偉業が結びつかなくなってしまう……なんてことはありませんか?今回はそんな、日本の礎を築くべく奔走した幕末の有名人たちのプロフィールのおさらいを兼ねて、歴史好きでもそれほどでもない人でも「これだけは知っておきたい」幕末の人物たちの活躍をご紹介したいと思います。

早世の大人物!激動の時代を駆け抜け若くして命を落とした幕末ヒーローたち

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幕末とは、江戸幕府政権の末期を表す言葉。一般的には、ペリー提督の黒船来航(嘉永6年/1853年)から、年号が慶応から明治に改元される1868年頃までの十数年間のことを指します。このわずかな期間に、日本の夜明けを信じながら若くして命を落としていった志士も大勢いました。今回はその中から、特に有名な3人の人物をご紹介します。

幕末の志士たちを育てた天才の早すぎる死:吉田松陰

吉田松陰(よしだしょういん)は文政13年(1830年)、長州藩(現在の山口県のあたり)の武士の家に生まれました。萩城の城下に生まれ、藩校で師範を勤めながら多くの若者たちの育成に尽力。子供のころから勉学に優れ、萩の天才として知られていたのだそうです。

若いころから「萩を出たい、藩の外の世界を知りたい」との強い思いを抱いていました。藩の用向きで出向いた江戸では、信濃の松代藩士にして天才学者とうたわれた佐久間象山のもとで学び、外の世界への思いをさらに強めます。

当時の日本はまだ鎖国時代。西洋の文化はおろか、勝手に藩の外に出ることすら許されていません。そんな時代に吉田松陰は、藩の許可証を持たずにあちこち出歩いたため脱藩扱いとなってしまい、謹慎処分となってしまうのです。

しかし、この若者の強い思いを封じ込めることはできませんでした。

その強い思いは、ある出来事がきっかけでゆるぎないものとなります。嘉永6年(1853年)の黒船来航です。吉田松陰は佐久間象山らとともに実際に黒船を見て、西洋文明の大きさに衝撃を受けたと伝わっています。

安政元年(1854年)、吉田松陰はとうとう、密航を決意。下田港近くに停泊中のポーハタン号に小舟で近づき、乗せてほしいと懇願する暴挙に出ます。しかしアメリカ側から拒否され、下田奉行所に捕捉されてしまうのです。

松陰は徴収へ連れ戻され、獄中生活を余儀なくされます。翌年、出獄後は自宅軟禁。幽閉処分のまま、叔父が開いていた松下村塾という塾を引き継いで、長州藩の若者たちの育成に尽力します。高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、久坂玄瑞など、日本の激動期に活躍した幕末の志士たちはみな、吉田松陰のもとで学んだのです。

しかしこれでおとなしくなる吉田松陰ではありません。幽閉の身ながら、黒船来航後に結ばれた日米通商条約に意見したり、倒幕を強く論じたり、少々過激な活動も。なにせ長州藩では絶大な影響力を持つ人物です。徳川幕府から危険視された松陰は江戸へ送られ、安政6年(1859年)、斬首刑に。満29歳、幕末を駆け抜けた天才の、あまりにも早すぎる死でした。

激動の幕末を駆け抜けた新選組局長:近藤勇

近藤勇(こんどういさみ)は天保5年(1834年)、武蔵国多摩郡(現在の東京都調布市のあたり)の農家の家の三男坊としてこの世に生を受けました。生家はそこそこ裕福であったといわれており、子供のころから剣術に励んでいたと伝わっています。のちに剣術師範・近藤家の養子に。妻子を設け、江戸で道場「試衛館」の運営に奔走する日々を送っていました。

時代は江戸末期。200年以上続いた徳川幕府の足元が少しずつ揺らぎ始めていたころでした。幕府に代わる新しい政治を求める声と、幕府を存続するべきと唱える声が入り交じり、日本は真っ二つ。そんな中、幕府は将軍警護のための人員を一般から広く募ります。浪士たちによって組織された「浪士組」。その中に、近藤勇の姿がありました。

文久3年(1863年)、近藤勇は試衛館の門弟であった土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助らとともに京都に入ります。一旗揚げてやろうと息巻く若者が集まる浪士組は、内紛や分裂を繰り返しながら徐々に体制を強化。働きが認められ、「新選組」という名前を賜るまでになります。

池田屋事件、禁門の変など歴史的な事件で活躍。新選組の名は京都じゅうに轟きわたり、倒幕派から恐れられるようになっていきました。

しかし時代にあらがうことはできません。倒幕の勢いは日に日に増し、慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍は大敗。近藤勇も負傷し前線撤退を余儀なくされます。

江戸から明治へ時代が変わり、幕府の返り咲きはなりませんでした。近藤勇は「大久保剛(大久保大和)」と名前を変えて潜伏していましたが、やがて捕縛され、同年、斬首。満33歳という若さでこの世を去ります。

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