紀州徳川家に生まれて
徳川家茂は将軍家の生まれではなく「紀州徳川家」の生まれです。紀州徳川家といえば、徳川家康の息子からできた尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家の「御三家」で有名ですよね。将軍家の後継ぎがいないと時のためにあるといっても過言ではないんですが。暴れん坊将軍で有名な「徳川吉宗」も紀州徳川家の出身です。そこで、13代将軍の「徳川家定」に子供がいなかったために…というのが順当に聞こえますが、なかなか将軍になるまで大変な道がありました。
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徳川家茂の父親のこと
徳川家茂に白羽の矢がたった経歴を話す前に、まず父親の「徳川斉順」の話からしないといけないですね。徳川斉順の父親は、江戸幕府11代将軍「徳川家斉」の七男です。なぜ将軍の息子が紀州徳川家の藩主に?と逆の疑問が出ますよね。
この徳川家斉はとんでもない人で、大奥をフルに使い倒して16人の妻妾に男子26人・女子27人という子だくさんで、精力剤(オットセイの睾丸が原料)を自ら作っていたことから「オットセイ将軍」とも言われた人です。とてつもない話ですよね。成人したのは28人といわれていますが、その子供たちを徳川・松平の親戚やらに養子や嫁に押しつけるということをしちゃってます。
それで徳川斉順は、まず異母兄が養子に行っていた「御三卿(徳川吉宗が御三家に対抗して作った、一橋家・清水家・田安家のこと)」の清水家に、お兄さんが亡くなったために養子に行きますよ。そうしているうちに、紀州藩第10代藩主「徳川治宝」の娘婿となっていた異母弟が亡くなったので、五女のところへ婿入りして藩主になってしまったのですね。将軍様の息子だからすぐ藩主になったんですね。(長女と結婚していた弟は4歳で亡くなっているので藩主になっていない。ちなみに奥さんだった長女は伊達家にお嫁にいっている)
つまり、12代将軍「徳川家慶」の異母弟で、13代将軍「徳川家定」は甥ということになるんですね。なんたが頭が痛くなりそうな話ですが、それだけ徳川家茂は将軍家と血が近いというのが一番だったようですよ。
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徳川家茂の誕生
徳川家茂は、弘化3年(1846)閏5月24日、江戸の紀州藩邸(現・東京都港区)で誕生しました。幼名は「菊千代」と名付けられたのです。なんと父親の徳川斉順は、その16日前に亡くなっていたのですよ。なんとも紀州徳川家にとってはえらいことですよ。前藩主の徳川治宝と家老が自分に都合のいい後継ぎをたてようとしたために、これを阻止しようとした紀州藩士の働きで、徳川斉順の後に清水家に養子に入って当主となっていた異母弟の「徳川斉彊」を藩主にしますよ。
ところが嘉永2年(1849)に徳川斉彊が死去してしまいます。そのために養子となって家督を4歳で継いだのですね。嘉永4年(1851)に元服して、12代将軍・徳川家慶より1字を賜り「徳川慶福(よしとみ)」と名乗ることになりました。紀州藩主としての任期は9年2ヶ月という長さでしたが、幼いためにずっと江戸にいたために、参勤交代どころか紀州に一度も帰っていないということだったのですよ。
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徳川家茂vs一橋慶喜!後継者はどっちだ?
12代将軍・徳川家慶は後継ぎであるべき「徳川家定」が病弱なために。公文書には残っていないものの、水戸藩主「徳川斉昭」の子で一橋家を継いでいた「一橋慶喜」を養子とすることを考えたことがあるそうですよ。老中「阿部正弘」の反対にあって「家定に不測の事態が起きた際に慶喜を」と言っていたというのですから、当時から一橋慶喜は注目されていたんですね。
嘉永6年(1853)ペリーが黒船をひきつれて開国を迫ってきました。ちょうどその時に将軍・徳川家慶が亡くなってしまいます。幕府内はもちろん大混乱。一度は事情を話して帰ってもらったものの幕府の中で意見がまとまらないうちに「日米和親条約」が締結されてしまいました。徳川家定は政務がとれない状態になり「この難局に対応できる強い将軍が必要」という意見があがっていき、子供がいない徳川家定の後継将軍に一橋慶喜を担ぎ上げる勢力ができてきました。反面、徳川斉昭や一橋慶喜を嫌い、将軍家に血が近い徳川家茂を担ぎ上げる勢力も出てきたのですよ。
〇南紀派
・溜間詰の大名
大老・井伊直弼 会津藩主・松平容保 高松藩主・松平頼胤など
・その他
老中松平忠固 紀州徳川家付家老水野忠央 御側御用取次平岡道弘 薬師寺元真 大奥など
〇一橋慶喜派
・親藩(親戚の徳川・松平)
前水戸藩主・徳川斉昭(父) 水戸藩主・徳川慶篤(兄) 越前藩主・松平慶永 尾張藩主・徳川慶勝など
・外様大名(開明的思想)
薩摩藩主・島津斉彬 宇和島藩主・伊達宗城 土佐藩主・山内豊信など