平安時代日本の歴史

初心者向け!「源氏物語」のあらすじをわかりやすく解説

紫式部が平安時代に宮中での出来事を書いた源氏物語。主人公は光源氏。そこまでは知っていても一体どんな物語なのか今更知らないなんて言えない…。かと言って原作を読むのはちょっと…というかた。ご安心ください!ここではそんなあなたに、これを読めば源氏物語とは何ぞや?が分かるように解説します。

源氏物語、基本のキ

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『源氏物語』は今からおよそ1000年以上前に紫式部(むらさきしきぶ)によって書かれた世界で最も古い長編小説。全54帖からなるこの物語は文字数にして100万文字、これは400字詰め原稿用紙にすると約2400枚にもなるようです。

そして源氏物語は70年間にもわたるストーリーとなっており登場人物がおよそ500人!今でいうと、『北の国から』や『渡る世間は鬼ばかり』でさえ真っ青の超大作です。

紫式部について

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では源氏物語の解説に入る前に作者である紫式部についてお話ししたいと思います。

出生と家族について

紫式部が生まれたのは元禄元年(970年)~天元元年(978年)頃と言われており、詳細は不明とされています。父は藤原北家良門流の越後守、藤原為時。幼い時に母(摂津守藤原為信の娘)を亡くし、父の手によって育てられた紫式部は、その父から「この子が男だったらよかったのに」と言われるほどの才女でした。

紫式部の名前の由来

紫式部という名前は実はペンネーム。しかし本名は不明となっています。紫式部の由来として、紫は作中の人物である「紫の上」に由来。式部に至っては父為時の官位に由来という説と、母の兄弟、惟規の官位に由来という説があります。

紫式部が源氏物語を書くことになったきっかけ

紫式部は父、為時が一条天皇に詩を奉じたことで越前の国の受領となったのに伴い、約2年間を越前の国(現、福井県越前市)で過ごすことになります。長徳4年(998年)頃、山城守、藤原宣孝と年の差結婚をし、一女をもうけますが長保3年(1001年)夫の死により短い結婚生活に終止符が打たれることに。

そして寛元元年(1004年)、紫式部は時の中宮について書かれた新しい物語を読みたいというリクエストを受け、石山寺(現、滋賀県大津市)に7日間の参籠(さんろう。参拝のため神社などにある期間籠ること)をし、琵琶湖の湖面に映る綺麗な十五夜の名月を眺め「今宵は十五夜なりけり」と書き出したのが源氏物語のはじまりとされています。

源氏物語の執筆期間と完成した時期

54帖にもなる大作を書き上げるのに要した期間は実は不明とされていますが、3年~4年で書き上げたのではないかという説があります。すべてにおいて詳細不明なところの多い紫式部ですね。

次に完成された時期ですが、寛元5年(1008年)に文献初出とされています。

紫式部の没年

シングルマザーをしながら、このような超大作を書き上げた紫式部。亡くなった日についても不詳とされているのですが、1014年から1031年頃でないかという説があります。およそ44歳から53歳頃だと思われますが、現代でのその年齢だとまだまだバリバリ、これから!という年代でもありますが、紫式部は濃く短い人生を送ったのですね。

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