- 源氏物語、基本のキ
- 紫式部について
- 出生と家族について
- 紫式部の名前の由来
- 紫式部が源氏物語を書くことになったきっかけ
- 源氏物語の執筆期間と完成した時期
- 紫式部の没年
- 源氏物語の登場人物について
- 男性篇 光源氏(ひかるげんじ)
- 男性篇 頭の中将(とうのちゅうじょう)
- 男性篇 柏木(かしわぎ)
- 男性篇 桐壷帝(きりつぼのみかど)
- 女性篇 藤壺の宮(ふじつぼのみや)
- 女性篇 紫の上(むらさきのうえ)
- 女性篇 葵の上(あおいのうえ)
- 女性篇 桐壷の更衣(きりつぼのこうい)
- 女性篇 女三の宮(おんなさんのみや)
- とっても簡単にあらすじをまとめてみました
- 第一部 1帖 桐壷(きりつぼ)~33帖 藤裏葉(ふじのうらば)
- 第二部 34帖 若菜(わかな)~41帖 幻(まぼろし)
- 第三部 42帖 匂兵部卿(におうひょうぶきょう)~54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし)
- 源氏物語、初心者は小説や漫画から入るのがおススメ!
- ナゼ1000年前に書かれた源氏物語が現代でも受け入れられるのか?
この記事の目次
源氏物語、基本のキ
『源氏物語』は今からおよそ1000年以上前に紫式部(むらさきしきぶ)によって書かれた世界で最も古い長編小説。全54帖からなるこの物語は文字数にして100万文字、これは400字詰め原稿用紙にすると約2400枚にもなるようです。
そして源氏物語は70年間にもわたるストーリーとなっており登場人物がおよそ500人!今でいうと、『北の国から』や『渡る世間は鬼ばかり』でさえ真っ青の超大作です。
出生と家族について
紫式部が生まれたのは元禄元年(970年)~天元元年(978年)頃と言われており、詳細は不明とされています。父は藤原北家良門流の越後守、藤原為時。幼い時に母(摂津守藤原為信の娘)を亡くし、父の手によって育てられた紫式部は、その父から「この子が男だったらよかったのに」と言われるほどの才女でした。
紫式部の名前の由来
紫式部という名前は実はペンネーム。しかし本名は不明となっています。紫式部の由来として、紫は作中の人物である「紫の上」に由来。式部に至っては父為時の官位に由来という説と、母の兄弟、惟規の官位に由来という説があります。
紫式部が源氏物語を書くことになったきっかけ
紫式部は父、為時が一条天皇に詩を奉じたことで越前の国の受領となったのに伴い、約2年間を越前の国(現、福井県越前市)で過ごすことになります。長徳4年(998年)頃、山城守、藤原宣孝と年の差結婚をし、一女をもうけますが長保3年(1001年)夫の死により短い結婚生活に終止符が打たれることに。
そして寛元元年(1004年)、紫式部は時の中宮について書かれた新しい物語を読みたいというリクエストを受け、石山寺(現、滋賀県大津市)に7日間の参籠(さんろう。参拝のため神社などにある期間籠ること)をし、琵琶湖の湖面に映る綺麗な十五夜の名月を眺め「今宵は十五夜なりけり」と書き出したのが源氏物語のはじまりとされています。
源氏物語の執筆期間と完成した時期
54帖にもなる大作を書き上げるのに要した期間は実は不明とされていますが、3年~4年で書き上げたのではないかという説があります。すべてにおいて詳細不明なところの多い紫式部ですね。
次に完成された時期ですが、寛元5年(1008年)に文献初出とされています。
紫式部の没年
シングルマザーをしながら、このような超大作を書き上げた紫式部。亡くなった日についても不詳とされているのですが、1014年から1031年頃でないかという説があります。およそ44歳から53歳頃だと思われますが、現代でのその年齢だとまだまだバリバリ、これから!という年代でもありますが、紫式部は濃く短い人生を送ったのですね。