16世紀後半!当時の日本と、世界の事情
バテレン追放令が発布されたのは、1587年7月24日(天正15年6月19日)。ヨーロッパはこの頃ちょうど、16世紀前半にはじまった宗教改革の混乱の最中。そしてスペインとポルトガル、そしてイギリスが覇権を競う大航海時代でした。100年近い内戦時代を通して、当時の世界最強レベルの兵士が育っていた日本。分裂していた国内は織田信長の働きを経て、太閤・豊臣秀吉により天下統一が実現しようとしていた、そんな時代の事情をまずは追っていきましょう。
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戦国時代も終焉にさしかかりはじめる、日本の姿
1543年、漂流して日本にたどり着いたポルトガル人商人たちによってもたらされた「種子島鉄砲(火縄銃)」は日本の戦場を変えます。織田信長が桶狭間の戦いで種子島鉄砲を用い、今川義元勢を圧倒したのは有名です。南蛮貿易はかくして始まり、キリシタン大名が率先して港や町を開放し、日本に海外の文明・文化が流入しました。
また1549年、日本にあの人が登場します。フランシスコ・ザビエルです。聖人として後にバチカンから認められた彼の宣教した、キリストの教えに魅せられ、九州をはじめとして多くの封建領主がキリスト教に帰依しました。「キリシタン大名」です。大友宗麟や大村純忠、高山右近など……。彼らはキリスト教の宣教師に布教の許可を与え、町や港を西洋人に開放し、盛んな交易が執り行われたのです。
フランシスコ・ザビエルは「神に最も祝福された国」と日本国民を絶賛しました。彼の来訪の後、約40年間、日本史を通してこの頃が、最初で最後のキリスト教の黄金期でした。キリスト教世界の人々は、日本の文化や文明を発展させ、良い影響も非常に多くもたらしたのです。
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世界にとっての16世紀とは
一方、16世紀という時代は西洋においてどんなものだったのか?ジョッドからはじまりレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなどが活躍しためくるめくルネサンス期が終焉を迎えました。ただれにただれまくった法王庁(バチカン)に対して反抗(プロテスト)勢力の「プロテスタント」という教派が誕生したのです。カトリックむかつく!多くの国王や諸侯は、税金や関係性の不平等さに飽き飽きし、服従することを拒みはじめます。
カトリックの権威はだだ下がり。そこにあらわれたのが、イグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルが創設者となった修道会『イエズス会』。イエズス会はアクティブ系の修道会。なんと海外に信者の「新規開拓」へ乗り出します。その過程でついに極東日本まで、キリストの教えは到達したのです。
アメリカ大陸やアフリカ大陸、アジアにて奴隷貿易がはじまったのは、キリスト教宣教と無関係ではありません。1492年、コロンブスによるアメリカ大陸「発見」以降、ジェノサイド(大量虐殺)や戦闘、婚姻による民族浄化と並行して、キリスト教の布教による「支配」が行われたのです。日本にキリスト教がやってきた1550年前後には、西洋以外の世界・非キリスト教圏はすっかり奴隷売買の舞台となっていました。
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