教養歴史

韓国経済の飛躍的な成功を成し遂げた「漢江の奇跡」を元予備校講師がわかりやすく解説

1950年から53年にかけて繰り広げられた朝鮮戦争により、朝鮮半島は焦土と化しました。そのため、韓国は1960年代前半まで世界最貧国の水準まで経済力が低下します。1960年代後半、朴正煕大統領の指導により韓国経済は急速に復興。わずか半世紀でNIES(新興工業経済地域)の一角を占めるまでに急成長します。この経済成長を「漢江(ハンガン)の奇跡」といいました。今回は漢江の奇跡の背景や内容、漢江の奇跡を達成した後の韓国などについて元予備校講師がわかりやすく解説します。

「漢江の奇跡」前の韓国

image by PIXTA / 15186962

第二次世界大戦が終結し、日本が植民地としていた朝鮮半島に北からソ連軍が、南からアメリカ軍などが進駐しました。冷戦の影響で朝鮮半島は南北が別々に独立します。1950年、北朝鮮の侵攻で始まった朝鮮戦争により、半島は焦土と化しました。韓国の李承晩政権は経済復興を目指しますがうまくいきません。1961年5月16日、朴正煕少将は5・16軍事クーデタを起こし政権を奪取します。

朝鮮半島の南北分断

1945年8月15日、日本はポツダム宣言受諾を発表し第二次世界大戦が終結しました。冷戦がはじまり、少しでも社会主義圏を拡大させたいスターリンは朝鮮半島北部にもソ連軍を派遣します。

8月24日、北部からソ連軍が朝鮮半島に進入。平壌を占拠します。これに驚いたアメリカは北緯38度線で朝鮮半島を分割占領することを提案しました。9月8日、マッカーサーが仁川に上陸し、朝鮮半島南部の支配権を固めます。

1948年、李承晩はアメリカと連携し朝鮮半島南部で選挙を実施。8月15日、大韓民国の建国を宣言しました。

一方、北部ではソ連と連携した金日成が独自国家樹立に動きます。1948年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が成立。金日成は首相に就任しました。これにより、北緯38度線を境に、2つの朝鮮人国家が誕生します。

朝鮮戦争による国土の荒廃

東西冷戦の影響で朝鮮半島は南北に分断されました。北部の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)はソ連の影響を受ける社会主義国家となります。南部の大韓民国(韓国)は、アメリカと連携する資本主義国家となりました。

1950年6月25日、金日成は北朝鮮軍に北緯38度線を越えて韓国に侵攻するように命じます。これにより、朝鮮戦争が始まりました。不意を突かれた韓国軍は首都ソウルを放棄し、南部へと潰走します。北朝鮮軍は韓国軍を追って半島南端の釜山に迫りました。

この事態を受けて国際連合は安全保障理事会(安保理)を開催。北朝鮮に即時撤退を勧告します。1950年7月7日、安保理はソ連欠席の状態でアメリカを主力とする国連軍を編成。マッカーサーの指揮の下、北朝鮮軍に反撃しました。

国連軍の参戦で、北朝鮮軍は北部へと敗走。国連軍が平壌を占拠します。さらに、国連軍が北朝鮮軍を追い中朝国境まで追い詰めた時、中国人民義勇軍が参戦。国連軍を北緯38度線まで押し戻しました。朝鮮半島の北端から南端まで戦場となり、国土は著しく荒廃します。

朴正煕による5・16軍事クーデタ

朝鮮戦争終結後、李承晩はアメリカの支持を背景に反共姿勢を強め、独裁的な政治をおこないました。1960年に実施された副大統領選挙で李承晩陣営が不正選挙を行ったとして学生が反発。全国で10万人規模のデモが繰り広げられ李承晩は大統領辞任に追い込まれます。

かわって、野党指導者の張勉が首相となりました。1961年5月16日、新政権に不満を持つ朴正煕少将らが中心となり5・16軍事クーデタを決行。張勉内閣を倒して朴正熙軍事政権を成立させます。

政権を握った朴正煕は1963年に大統領に就任。軍の力を背景とした開発独裁を押し進めました。開発独裁とは貧困から脱するためには工業化することが最優先であり、それに反対する勢力を抑圧して独裁的に行う政治のこと。韓国だけではなくフィリピンやインドネシアなどでみられました。

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