安土桃山時代室町時代戦国時代日本の歴史

日本を守るためだった?「バテレン追放令」の真実とは?奴隷貿易と日本と世界と

判明した奴隷貿易――宣教師を問いただす秀吉

どんなにきれいごとを並べても、これを侵略行為ととられても仕方ありません。そしてこの時代は、まだ戦国時代!弱い国を強い国が取る、という原理で100年近く動いてきた日本は、外交的にも戦力的にも強い者こそが、日本を全国統一するという共通認識だったのです。豊臣秀吉は動きはじめました。

秀吉はポルトガル側通商責任者と、宣教師ガスパール・コエリョを問いただします。彼はこの宣教師コエリョに過去、宣教の許可を出していました。が、秀吉がもう西洋人を許せない理由があったのです。それは、奴隷貿易。ポルトガル人商人はじめ西洋人による人身売買が横行していたのです。彼らとしては「日本人が奴隷を売ってくるから、売買している」というロジック。温和な教えであるキリスト教布教の裏に、このような犯罪まがいのことがまかり通っていたのです。

この人買いビジネスが非人道的な行為であること、奴隷は虫けら以下のあつかいを受けることになることは、すぐにはっきり判明しました。自国領を侵食し、国民を非人道的なあつかいの境遇に堕とす、西洋人ひいてはキリスト教徒。秀吉が「太閤」となるのはバテレン追放令よりも後の話ですが、天下人として日本の領民を背負う1人の人間として、彼はこの行為を許すことができるわけがありません。

キリスト教は本当に危険なものだったのか?

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本来は温和な教義を持つ、キリスト教。「心の貧しいものは幸いである、天の国はその人のものである」という言葉に、たしかに人々は惹かれたのでした。しかし!なぜそれが奴隷貿易はじめ非人道的な行動につながるのか!そしてそもそもなぜ、奴隷なんて欲しがったのか?日本にとって、バテレン追放令はどのような意味合いを持っていたのでしょうか。

西洋社会はなぜ奴隷を欲したのか?

黒人奴隷やネイティブアメリカン……歴史において西洋社会と奴隷の関係は歴史において、無視することができません。しかし日本人としては純粋な疑問がわきます。「なぜ奴隷なんか必要なの?」自分で働けばいいじゃない!勤勉が美徳である日本は、額に汗して食い扶持を稼ぐのがカッコいいこと。しかし西洋社会は違います。

さかのぼれば、奴隷の文化は古代ローマ帝国からある社会システムです。西洋社会では「働かないこと」が社会的ステータス。そういう価値観もある、ということですね。そして、未知の世界を開拓し、商売のベースを作るためには労働力が必要でした。

奴隷売買は、生活の困窮による身売りもそうですが、無知な人々を誘拐同然に国外へ連れて行くという例も非常に多かったのです。また「運搬」の過程で無数の人が命を落としました。奴隷は「モノ・所有物」であり人間ではありませんでした。天正遣欧少年使節団は、ローマに向かう航路において、世界の各所で日本人奴隷を見かけたといいます。日本人奴隷が虫けら以下の扱いを受けているのを見て、衝撃を受けた少年武士への宣教師の答えは「日本人が奴隷を売るから、こうして奴隷として扱っている」……。そんな無謀な理屈をこねる商人から日本人を守るために、このバテレン追放令は必要と豊臣秀吉も判断したのでしょう。

バテレン追放令と、その後

思想的には本来とても温和でやさしい、キリスト教。一般の入信者は素朴な信仰を持って生きていたに違いないのです。この極東日本で誕生した貴重な「信徒」をどうしても守りたければ、日本の政府と戦う決断を教会は下すべきだったのかもしれません。一時は籠城と戦闘も検討されたのです。

しかし頼みの綱のキリシタン大名は、戦うことを好みませんでした。彼らの同意を得ることができなかった修道会は、秀吉のバテレン追放令に従い、わずか40年余りの宣教期間で極東日本を去ることを決断したのです。結局、西洋人とキリスト教徒はこの日本を去ることになります。

とはいえ、このバテレン追放令の主目的は奴隷貿易の禁止。個人的に信じるぶんならキリスト教徒もいいんじゃない、というわりと緩めの内容でした。それでも一気にキリスト教は日本において下火になります。西洋人に置いていかれた日本のキリスト教徒たちは、隠れキリシタンとして300年余りを孤独に戦うこととなるのです。

秀吉の明察と決断が守った、日本の人々

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キリスト教は裏表が激しい宗教です。教えは非常に人道的ですが、歴史は非人道的なことが多いと言わざるをえません。このバテレン追放令により日本の領土と領民は守られました。しかし常にしわ寄せが来て虐げられるのは、弱い立場の人々です。一番の犠牲は日本の末端のキリシタン信者たちでしょう。世の中はきれいごとでは済まないとはいえ、もし奴隷貿易がなく、純粋に教えのすばらしさだけをキリスト教が伝えていたら、もっと日本にキリスト教は根付いたかもしれないのに……。そんなことも考えてしまいます。

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