ヨーロッパの歴史

ヨーロッパ社会を変えた「ルターの宗教改革」とは?プロテスタントの誕生をわかりやすく解説

ヨーロッパでは昔からキリスト教が信仰されていますが、実はキリスト教は主に2つに分かれています。それがカトリックとプロテスタントでした。でも昔はキリスト教といえばカトリックのみ。プロテスタントはありませんでした。そこで今回はそんなキリスト教におけるプロテスタントの誕生について見ていきましょう。

宗教改革が起こった原因

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1517年。この年マルティン・ルターが95か条の議題を発表したことによって宗教改革が始まりました。しかし、この改革が起こるようになったのは何も彼が動き始めたからではありません。それ以前から当時の教会勢力の活動に疑問を持ち改革を行おうとした動きがあったのでした。

 

ルネサンスによる人文主義の起こり

宗教改革が起こった原因にルネサンスによって人文主義的な考えが生まれたからというものがあります。ルネサンスといえば『ギリシャ文化を再興しようぜ!』というものですが、その中でもギリシャ哲学において考えられていた人文主義的な考え方が巻き起こりました。人文主義というのは簡単に言えば『自分の才能を発揮していこう』というもので人間的な考えを使って行くというものでした。今でこそこの考えは当たり前ですが、人間的な考え方というのはルネサンス以前はあり得ないことだったのです。それもそのはずルネサンス以前の人間は神様によって与えられたもの。自分の考えを示すのではなく神を信仰することが第一だったのです。

つまり、人文主義はこれまでの宗教感を一変させ、人間が宗教とは一体なんなのか?というものを考えさせる第一歩とだったというわけだったのですね。

活版印刷術の完成

宗教改革が起こったもう一つの原因としてグーテンベルクによる活版印刷術の改良がありました。活版印刷術と言えばルネサンス三大発明の一つですが、元々活版印刷術というものは中国からやってきたものです。グーテンベルクはそれを1440年頃に改良したと言われていますが、この改良によってこれまでは手書きのみで大量に出版できながった本を大量に印刷できるようになり、農民の識字率の向上に貢献していくことになるのでした。

宗教改革の始まり

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ここまでは宗教改革が起こる原因について解説していきましたが、これはあくまでも間接的なもの。これによって宗教改革が起こることはありませんでした。しかし、1515年に教会がとんでもないものを発売したことによってこの改革が一気に行われていくことになるのでした。次はそんな改革の直接的な原因について見ていきましょう。

教皇による贖宥状の発行

1515年、当時キリスト教のトップに君臨していた教皇レオ10世はサン・ピエトロ大聖堂を建てるお金が無いという建前の借金返済という悩みにふけていました。そこでレオ10世はとあるものを売り始めます。それこそが宗教改革の引き金となる贖宥状の発売でした。贖宥というのは要するに「罪を赦したことを認める書類」ということ。免罪符として習った人もいるかもしれませんね。

『こんな胡散臭いもの売れるの?』と思うかもしれませんが、この当時のヨーロッパはペストの流行などで疲弊したばかり。人間というものはどうしょうもなくなったら宗教にすがる生き物です。この時も例外では無くこの贖宥状を買えば誰でも天国に行けるという魅力につられてしまい、特にこの当時神聖ローマ帝国の領内であったドイツなどでは飛ぶように売れたのでした。

しかし、贖宥状を勝手に売ることはキリスト教の教えに背いていること。それこそ異端的な考えでした。そしてこの贖宥状の発行への反抗がが宗教改革へと繋がっていったのです。

マルティン・ルターの宗教改革

レオ10世が贖宥状を売りさばき始めてから2年後の1517年、ドイツにおいて1人の宗教学者がついに立ち上がりました。その男こそがルターだったのです。ルターは元々ヴィッテンベルク大学の神学者でしたが、この男は根っからのキリスト教の信者でした。そのためこのキリスト教に反している贖宥状の発行は許しがたいことだったのです。そしてついに思い立ったルターはヴィッテンベルクの教会の壁に『95か条の論題』を発表します。しかしこの時点ではあくまでも贖宥状の問題について反抗的だっただけ。ルター自身は最初は改革を起こす気はありませんでした。

活版印刷術による農民への普及

こうしてルターは教会に対して疑問を呈しましたが、教会は贖宥状を売りたいばかりにこれを無視。レオ10世はこれを「酔っ払ったドイツ人のたわ言」という形で軽く流していました。しかし、彼の思いは真面目なものであり、この疑問を軽く流した教皇に失望してしまいます。こうしてルターは「教会に頼み込むのでは無く、自分からこのキリスト教について宣伝していこう!」という形に方針変換していきました。そんな折に使われ始めたのが活版印刷術だったのです。

ルターが使った活版印刷術によってキリスト教についてのビラを大量にすり、そしてこのビラをドイツ中にばら撒いたのでした。このビラの効果は絶大なもので当時のドイツにおける識字率は10%あるかないかという状況にだったのにかかわらず、最終的にはこのルターの考えに同調する者が増え始めます。「活版印刷なしに宗教改革はなし」その通りルターはこの活版印刷術によって起こった情報革命によって作成したビラを配布したことによって改革を実行していきました。

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