アメリカの歴史独立後

東西冷戦によって生じた「赤狩り(レッドパージ)」って何?背景・何が行われたのか解説

赤狩りという言葉はすでに死語になっており、知っている方も少ないでしょう。しかし、第二次世界大戦後の東西冷戦勃発とともにおこなわれた「赤狩り」はレッドパージと言われ、西側の世界では大きなうねりになったものでした。GHQによる占領下にあった日本でも公職から追放された人がたくさん出ていたのです。 この赤狩りについてその背景やどのようなことがおこなわれたのかなどを解説します。

赤狩り(レッドパージ)とは何だったのか

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赤狩りと言っても知っている人は少なくなりましたね。第二次世界大戦が終了した後、世界は戦争の反省を経て、平和を維持するために国際連合などの設立に動きました。しかし、ソビエト連邦が東ヨーロッパに進駐し、その上で各国に共産主義国家を樹立させたことで、東西冷戦が生じたのです。西側諸国では、武力革命も辞さない共産主義者が自分たちの社会を転覆させるのではないかとの不安が高まり、共産主義者に対する警戒感が高まりました。共産主義者をあぶり出して排除しようとする動きが社会現象となったのです。これがレッドパージ、すなわち、赤狩りと言われた現象でした。

一番赤狩りがおこなわれたのはアメリカ合衆国でしたが、ヨーロッパをはじめ、世界中でおこなわれたのです。当然、GHQ(連合国軍最高司令官総本部)の占領下にあった日本でもおこなわれました。せっかくの自由主義的な政策がとられていたのも束の間、多くの人が公職や企業から追放され、内閣も倒れたのです。

この赤狩り(レッドパージ)について詳しく見ていきましょう。

赤狩りのおこなわれた背景

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赤狩りとは、共産主義者を追放する政策を言いますが、その背景には自由主義、資本主義を信奉する人たちのその共産主義思想に対する警戒心がありました。

18世紀には、資本主義が産業革命とともに台頭し、アダム・スミスの「国富論」によってその正当性が主張され、ヨーロッパの政府、社会では近代化の潮流が主流になったのです。しかし、一方で企業に雇用された人々は、長時間労働、劣悪な環境下での労働によって、悲惨な生活に苦しんでいました。

そのような状況を研究したドイツ人のカール・マルクスは、「資本論」によって、歴史上資本家による搾取が労働者層を苦しめていることを明らかにしたのです。労働者の現状を救うためには個人の資産所有を認めず、平等な社会を実現する必要があることを主張しました。そのためには、労働者自身が革命によって政権を取って、私有財産の共有化、収入の平等化など、現状を変えることをすすめたのです。

共産主義思想に対する警戒感の台頭

ヨーロッパでは、この共産主義、社会主義に基づく政党が結成されるようになります。実際にフランスの1848年の二月革命後、政権に社会主義政党(インターナショナル)が参加する事態も起こったのです。

そのため、19世紀からヨーロッパの自由主義や資本主義に基づく社会では、共産主義、社会主義に対する警戒感が強くなっていました。

共産党に対する警戒感はソビエト連邦成立してからさらに高まった

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自由主義者が警戒していた事態が、ロシア革命によって現実化します。ロシアで2度目の革命の末に、第一次世界大戦中についにレーニンを中心とした共産主義者によって社会主義国家であるソビエト連邦(ソ連)が成立したのです。ソ連は、第一次世界大戦からの撤退を宣言し、国内の共産主義化を進めました。これに警戒感を強く持ったヨーロッパやアメリカの戦勝国は反発を強め、戦後のパリ講和会議(ヴェルサイユ会議)にはソ連を参加させませんでした。

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