1947年のGHQ指令によって多くの人が公職追放に
1947年にGHQ指令として赤狩り(レッドパージ)の指令が出て、その結果、多くの人が摘発され、公職から追放されてしまったのです。
当時の日本では、GHQ主導によって、民主化がおこなわれ、平和憲法の施行や新しい制限のない参政権の実施によって総選挙がおこなわれました。そして、GHQ指令が出るまでには、社会党政権が成立していたのです。すなわち、第二次世界大戦後の日本では共産党や社会主義政党が国会進出し、社会党を中心とした政権ができていました。それに対してGHQはそれまでの民主化指針を覆して、共産党員の公職追放をおこない、それとともに、当時の社会党政権の片山内閣はスキャンダルを摘発されて総辞職を強いられたのです。次の芦田内閣も同様の結果でした。
また、GHQは当時の共産主義者や社会主義者を多く拘束しています。これは、日本がサンフランシスコ平和会議で講和条約を結んで正式に再独立を果たすまで続いたのです。
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サンフランシスコ平和条約で再独立してようやく赤狩りは終わった
日本は、朝鮮戦争中の1951年にサンフランシスコ平和条約に署名して、翌年再独立を果たし、主権を回復し、それまでのGHQ支配から抜け出し、追放された人々も解放されました。赤狩りの社会は終わったのです。同時に、第二次世界大戦後の極東裁判でA級戦犯として巣鴨の刑務所に収監されていた岸信介、鳩山一郎なども釈放されました。
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1989年にソ連が崩壊して共産主義が負けて赤狩りも死語となった
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東西冷戦は、1989年に当時のアメリカ大統領ブッシュとソ連の書記長であったゴルバチョフがマルタ島で会談して冷戦の終結を宣言するまで続きました。しかし、その後ソ連は崩壊して自由主義経済に移行して、赤狩りという言葉そのものも死語になったのです。
しかし、現在でも旧ソ連のロシアや中国とアメリカを中心とするNATO諸国の対立は再燃しており、それは中東などの不安定化をもたらしており、今後の世界平和にとって大きな不安定要素になっています。
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世界の右傾化と赤狩りの復活の可能性
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ソ連が崩壊して、東西冷戦は終結して赤狩りという言葉も死語化していますが、先進諸国では、指導者や世論の右傾化傾向が見られており、弱者の格差を是認して、攻撃する傾向も強くなっており、赤狩りが復活する可能性も垣間見られます。アメリカなどは社会が分断される傾向にあり、ドイツではナチスを信奉する政党が議席を得つつあるのが実態なのです。また、日本でも右翼的傾向の政策が強まりつつあります。これらによって、世界が再び分断されて、対立が生じることのないように、私たちは気を付けていく必要があるのではないでしょうか。