平安時代日本の歴史

稀代の天才僧侶空海が開いた「真言宗」を元予備校講師がわかりやすく解説

奈良時代の初期から平安時代にかけて、天台宗の開祖である最澄とともに活躍したのが真言宗の開祖である空海。空海は唐で恵果阿闍梨から真言密教の教えを受け継いで日本に真言宗をもたらします。空海がもたらした真言宗は天台宗とはかなり異なった仏教でした。空海の死後、真言宗は日本各地に広がり、空海が与えられた東寺や金剛峯寺のほかにも数々の寺院が建てられます。今回は真言宗を開いた空海と、空海がもたらした真言宗の内容や主な寺院について元予備校講師がわかりやすく解説します。

真言宗の開祖、弘法大師空海

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讃岐国、現在の香川県の郡司の家に生まれた空海は、都に登って論語や史伝、文章などを学びます。大学での勉強を終えた空海は山林での修行を行いながら学問を深めました。804年、中国語に堪能だった空海は遣唐使として唐にわたります。中国で密教高僧である恵果阿闍梨から密教の奥義を授けられた空海は日本に帰国後、真言密教を確立しました。

空海の誕生と仏道修行の始まり

空海は774年に讃岐国の郡司の子として生まれました。郡司は地方の統治を担当する地方豪族がついた官職です。15歳のころ、空海は都に登って学問を学びました。18歳になると大学寮に入り本格的に学問の道に入ります。

大学では儒学を教える明経道や中国の歴史書の春秋左氏伝などを学びました。大学で一通りの学問を納めた空海は、学問研究と並行して山林での修行に入ります。

修業の中で空海は俗世の教えは真実がないとし、仏教思想にのめりこみました。奈良県南部の吉野の金峰山や四国の石鎚山などで修業したことが伝わっています。

空海は高知県室戸岬の東側にある洞窟(御厨人窟)に居住して修業を積みました。このとき、洞窟から見える風景が空と海だけだったことから自らの法名を「空海」としたともいわれます。

遣唐使に選ばれた空海

803年、空海は語学の能力や医薬に関する知識を認められ遣唐使の一員に選ばれます。803年の遣唐使は悪天候のため発遣が見送られましたが、翌年には派遣が実行されました。

この時、空海の身分は医学生ではなく学問僧と記されています。とはいえ、この時の空海はまだまだ無名の一学問僧に過ぎません。同じ船団で唐に渡った最澄はすでに仏教界では有名人でした。

遣唐使船団は航海の途中で悪天候に見舞われ、空海の船は予定の港と異なる福州にたどり着いてしまいます。そのため、唐の役人は遣唐使船を海賊だと考え嫌疑が晴れるまで50日にわたり拘束されました。

空海は遣唐大使にかわって唐の役人に自分たちが日本からやってきた遣唐使であることを訴えました。空海の歎願が功を奏し、海賊だとの嫌疑は晴れます。唐の朝廷から都の長安に入る許しを得た遣唐使一行は804年12月に長安に入りました。

密教の奥義伝授と真言宗の確立

長安に入った空海は、西明寺を拠点として活動を開始します。空海は密教を学ぶために必要な梵語(サンスクリット語)を集中的にマスター。研究の準備を着々と進めます。

次に空海が訪ねたのは青龍寺。ここにいたのが密教の中国における正統後継者といってもよい恵果阿闍梨でした。

恵果は空海を一目見るなり、過酷な修業を経てきたことを見抜きます。恵果は空海こそ密教の次の伝承者だと考え、奥義の伝授を行いました。金剛界灌頂や伝法阿闍梨灌頂を経て、遍照金剛灌頂も受けます。恵果が死去すると、空海は弟子を代表して顕彰碑の碑文を起草しました。

806年、空海は経過から譲られた密教の法具や曼荼羅、筆写した経典などを携えて帰国の途に就きます。空海は入唐求法について「虚しく往きて実ちて帰る」と表現。一修行僧に過ぎなかった空海は、中国密教の伝承者となって日本に帰国しました。

高野山金剛峰寺や東寺の下賜と空海の入定

807年、空海は日本に帰国します。しかし、当初の修業期間である20年を勝手に2年に短縮してしまったため、朝廷は入京を許しませんでした。空海は2年近くにわたり、太宰府に滞在します。

809年、嵯峨天皇の即位とほぼ同じころ、空海は入京を許されました。810年に薬子の変が起きると、空海は嵯峨天皇のため加持祈祷を行い、鎮護国家を祈願します。

嵯峨天皇と密接な関係を築いた空海は816年に高野山を下賜されました。また、823年には平安京内に東寺を賜り、真言密教の修行道場とします。

835年、空海は高野山で弟子たちに別れを告げたのち、高野山の奥之院で入定しました。空海は現在でも奥之院にある弘法大師御廟で修業しているとされます。921年、醍醐天皇は空海に「弘法大師(こうぼうだいし)」の諡号を贈りました。

真言宗の教え

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空海が日本で開いた真言宗では、密教がとても重要とされます。仏教の教えの中でも深淵秘密といわれる密教とはどのようなものなのでしょうか。また、同じころに最澄が中国から持ち帰った天台宗との違いは何が違うのでしょう。ここでは、一般的な意味での密教や天台宗との比較、真言宗で重視される経典などについてまとめます。

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