アメリカの歴史植民地時代

白人入植者によって保留地へと追いやられた「インディアン」を元予備校講師が分かりやすく解説

ヨーロッパ人たちが南北アメリカ大陸に到達するはるか以前から、南北アメリカに先住していた人々がいました。1492年に南北アメリカに到達したコロンブスは彼らをインド以東に住む人々「インディアン」と呼びました。ヨーロッパ人たちが本格的に南北アメリカにやってくるようになると、「インディアン」たちは自らの土地や資源を守るため白人たちと争います。今回は、インディアンの歴史や白人とインディアンの戦いなどについて元予備校講師がわかりやすく解説します。

インディアンとは

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インディアンとは、アメリカ先住民族の人々を表す一般的な呼び方(呼称)となっている言葉です。日本では、メキシコ以北に住む先住民族のことを慣用的にインディアンとよんでいますね。インディアンとは、いったいどのような人々なのでしょうか。名称の由来や人口、言語、食文化などについてまとめます。

インディアンの名称や来について

インディアンという名称は1492年にカリブ海のサン=サルバドル島に到着し、新大陸を「発見」したコロンブスによって付けられました。コロンブスは、インドに向かう新航路を開拓するため、スペインから西に向かって航海し、カリブ海にたどり着きます。

コロンブスは発見した場所をインドの一部だと考え、西インド諸島と名付けました。コロンブス一行がサン=サルバドル島に上陸。現地に住んでいた人々と接触しました。コロンブスは彼らを東方世界(インディアス)に住む人々という意味で「インディアン」と名付けます。

「インディアス」には、インドという意味も含まれていたので、先住民族の呼称としてはふさわしくないと考える人もいて、最近は「ネイティブ=アメリカン」と呼ばれることも多くなりました。

インディアンの人口・言語・伝統的な食文化

コロンブスが到達したころ、南北アメリカに居住していたインディアンは7500万人ほどいたと推定されます。その後、白人との戦いや混血、流行病によってインディアンの人口は激減。2000年の国勢調査の段階では247万人とされています。

インディアンたちは固有の言語を持っていました。アメリカ先住民族が使っていた言語をひとまとめにして「アメリカ先住民諸語」といいます。アメリカ先住民諸語のうち、現存するのは100前後。比較的和者数が多いのは、ナバホ族の言葉であるナバホ語ですね。

白人到来前、インディアンたちはトウモロコシを主食とする生活を送っていました。インディアンの大半は、農業と狩猟・漁労・採集を組み合わせた生活を送り、移動を繰り返していました。揚げパンやペミカンとよばれる保存食はインディアンに由来する食物です。地域によっては、ドングリや松の実を主食付する部族もいました。インディアンは長髪やトウモロコシ文化などの独特の習慣を維持して白人たちの到来を迎えます。

インディアンの歴史

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のちにインディアンと白人達によばれた人々は、白人達が南北アメリカに足を踏み入れるはるか以前から、南北アメリカに定住していました。16世紀から18世紀にかけて、イギリスやフランスなどから沢山の人々が北アメリカに移住します。白人達はインディアンと戦いながら彼らの土地を奪い、西へと領土を拡大しました。最終的にインディアンたちは保留地とよばれる狭い土地に押し込められていきます。

石器時代の移動

今から200万年以上前、人類の祖先たちはアフリカで進化を遂げました。二足歩行や火の使用など、他の類人猿とは一線を画した人類の祖先たちは、徐々に世界各地に拡散していきます。

ヨーロッパに向かったものは白人(コーカソイド)に、アフリカ大陸に残ったものは黒人(ネグロイド)、アジアに向かったものは黄色人種(モンゴロイド)とよばれる人種となりました。

旧石器時代、地球は現在に比べ寒冷だったため海面がいまよりもかなり低い位置にありました。そのため、ユーラシア大陸の東端と北アメリカ大陸の西端(アラスカ)は地続きでした。ユーラシア大陸東部に到達したモンゴロイドの一部は、北アメリカに移動します。これが、インディアンたちの祖先と考えられていますね。

白人入植者の移住と軋轢

1492年、コロンブスがサン=サルバドル島に到達したことで南北アメリカ大陸の存在がヨーロッパに知られるようになりました。16世紀後半のエリザベス1世の時代、北アメリカ東部にはイギリスからの移民がやってくるようになります。

入植直後、白人達はインディアンと友好的な関係を築きました。しかし、イギリス本国からの植民者が増えるにしたがって、土地や資源をめぐるイギリス系移民とインディアンの争いが激しくなります。

白人側は、インディアンたちの土地の所有権に対する認識があいまいであることなどを利用し、ウィスキーなどの嗜好品と土地を交換する契約を結ぶなどして土地を奪うようになりました。そのため、インディアンと白人のあいだで軋轢がおき、争いに発展することが増えます。

フレンチ・インディアン戦争

18世紀中ごろ、イギリスは大西洋沿岸に強固な植民地を築きました。幾度かの戦いで同じく北アメリカに進出していたフランスに勝利することでイギリス植民地は拡大します。

1754年、イギリス系植民地とフランス領ヌーベルフランス(フランスの植民地)で戦いが起きました。のちに、この戦争はフレンチ・インディアン戦争と呼ばれるようになります。イギリス植民地も、フランス領ヌーベルフランスもインディアンを味方につけて戦争を有利にしようとしました。

インディアンの中でも比較的強い影響力を持っていたのがイロコワ(イロコイ)連合です。両国はイロコワ連合を味方につけようとしました。最終的にイロコワ連合は中立を保ちます。これは、現地での兵数で劣るフランスにとって大きな誤算です。

フレンチ・インディアン戦争はイギリスの勝利に終わり、1763年にパリ条約が結ばれました。パリ条約により、フランスは北アメリカでの植民地を失い、イギリス系植民地の領土が拡大しました。

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