アメリカの歴史独立後

大西洋単独無着陸飛行を成功させた「リンドバーグ」の生涯を元予備校講師がわかりやすく解説

1957年、アメリカ映画「The Spirit of St. Louis」(邦題「翼よ!あれが巴里の灯だ」)が公開されました。この映画の主人公の名はチャールズ=リンドバーグ。映画の英語名タイトルとなっている「The Spirit of St. Louis」という名の飛行機に乗って、大西洋単独無着陸飛行の成功を成し遂げた人物です。日本では、渡瀬マキらによって結成され、数々の楽曲をヒットさせたを出した人気ロックバンド「LINDBERG」の名前の由来としても知られていますね。今回は、リンドバーグが活躍したころのアメリカやリンドバーグの大西洋単独無着陸横断飛行の成功、飛行成功後のリンドバーグなどについて元予備校講師がわかりやすく解説します。

リンドバーグが活躍したころのアメリカ

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リンドバーグは1902年にアメリカのミシガン州デトロイト市で生まれます。彼が少年から青年へと成長していたころ、アメリカは第一次世界大戦の戦勝国となって「狂騒の20年代」とよばれる空前の繁栄を迎えました。国として活気に満ち溢れていたアメリカの1920年代についてまとめます。

第一次世界大戦への参戦

1914年、オーストリア=ハンガリー帝国がサライェヴォ事件をきっかけに、セルビアに対して宣戦布告。これに端を発して、ヨーロッパじゅうが戦火に包まれました。第一次世界大戦の始まりです。

アメリカはモンロー主義の考え方が根強かったため、当初は戦争に参加せず中立の立場をとります。モンロー主義とは、アメリカはヨーロッパに干渉しない代わりに、ヨーロッパのアメリカへの干渉は拒否するという考え方のこと。

イギリス・フランス・ロシアの協商国とドイツ・オーストリアの同盟国の戦いは思いのほか長期化・泥沼化していきました。アメリカはヨーロッパ諸国にかわり世界各国に製品を輸出します。その結果、アメリカ経済は大戦中に急成長しました。

1917年、アメリカはルシタニア号事件を機に第一次世界大戦に協商国側として参戦します。これが決め手となり、第一次世界大戦は協商国の勝利となり、アメリカは戦勝国となりました。

債務国から債権国へ

第一次世界大戦でアメリカは巨額の利益を上げました。大戦前、アメリカは世界各国からお金を借りる債務国でしたが、戦争後は逆に各国にお金を貸し付ける債権国となります。具体的には35億ドルの債務から、125億ドルの貸付へと変化しました。

アメリカは、第一次世界大戦中に協商国のイギリスとフランスに戦争費用の貸し付けをおこないます。戦争終了後、アメリカは敗戦国のドイツに多額の融資を行いました。融資を受けたドイツは経済を回復させ、イギリスやフランスに賠償金を返済します。イギリスやフランスは賠償金の中から、アメリカへの戦争時の借金を返済しました。

こうして、アメリカは世界金融の中心となり、世界各国からお金が流れ込む仕組みが生まれます

狂騒の1920年代

1920年代、戦争の被害をほとんど受けなかったアメリカは空前の経済的繁栄を迎えていました。このころ、アメリカでは旺盛な消費を満たすため、製造業が空前の成長を遂げます。人々の需要を満たすため、大量生産の仕組みが整えられました。

大量生産は多くの雇用を生み出します。仕事を得て、賃金を手に入れた人々は、自分たちの欲求を満たすため、さらなる大量消費をおこないました。1920年代のアメリカは大量生産・大量消費という現代にもつながる社会の仕組みを作り上げます。

文化・芸術の面ではジャズミュージックが流行やハリウッド映画が成長。ウォルト=ディズニーが「蒸気船ウィリー」を発表し、ミッキーマウスを生み出したのもこの時代ですね。

また、大リーグのニューヨークヤンキースで活躍したベーブルースが年間60本のホームラン記録を作ったのもこの時代です。アメリカの歴史でも屈指の華やかな時代が繰り広げられていたといってもよいでしょう。

大西洋単独無着陸飛行の成功

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ミシガン州に生まれたリンドバーグは、当時最先端の乗り物だった飛行機にあこがれ曲芸飛行パイロットになります。飛行機の発達がリンドバーグの行動を後押ししました。リンドバーグは大西洋単独無着陸飛行に成功したものに多額の賞金を与えるというオルティーグ賞を狙い、前人未到の冒険に乗り出します。

飛行機乗りになったリンドバーグ

リンドバーグは1902年にアメリカのミシガン州デトロイト市の出身でした。デトロイトはフォードが工場を建設したことで、米国自動車産業の一大拠点となります。

父のチャールズ=オーガスタ=リンドバーグはミネソタ州リトルフォールズで農園を経営する人物、母のエヴァンジェリンは化学の教師でした。

リンドバーグは少年のころから機械いじりが大好きだったといいます。子供のころに勝ってもらった自転車について、彼は細部に至るまで仕組みを研究しました。

1918年、リトルフォールズの高校を卒業したリンドバーグはウィスコンシン大学の工学部に入学します。しかし、リンドバーグは当時最先端の乗り物だった飛行機に乗りたいと思い、大学を中退。「ジェニー」と名付けた飛行機を購入して曲芸飛行のパイロットになりました。

その後、陸軍航空隊で飛行訓練を受け、郵便飛行機のパイロットなども務めることで飛行経験を積みます。

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