日本の歴史

沖縄のお盆ってどんなもの?~独特の宗教文化と先祖崇拝~

本土と同じく沖縄にもお盆の風習はもちろんあります。亡くなった方をお盆の時期に家に迎え、ゆっくり過ごして頂いた後、そして再びあの世へ見送っていくという日本独特の宗教観は共通していますね。しかし、いささか本土とは違った作法や習慣もあるのです。果たしてどのように違うのか?そこには沖縄独特の宗教観と先祖への思いが込められているのです。「沖縄のお盆」について、わかりやすく解説していきたいと思います。

本土とはちょっと違う?沖縄の宗教観とは

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まず「沖縄のお盆」についてお話しする前に、沖縄における宗教事情について解説しておいた方が良いでしょう。なぜ沖縄のお盆行事が本土とは異なるものになったのか?それは沖縄の歴史や立地にヒントがあるのです。

沖縄は実は仏教王国だった?

今を去ること750年前、李氏朝鮮から禅鑑という僧が琉球(現在の沖縄県)の那覇に漂着し、そのまま土着して極楽寺という寺を創建したところから始まります。15世紀になると琉球の王だった尚氏の庇護を全面的に受け、国教となりました。といっても王族が仏教の権威を背景にして国を支配する目的があったため、一般民衆に対しては浸透せず、あまり縁がなかったものだったといえるでしょう。

琉球王朝から任命されて、各地で祭祀を司った神道の巫女(ノロやユタと呼ばれる)のような宗教による国家支配が目的だったといわれていますね。また、琉球の仏僧たちは遠く京都にまで派遣されて多くを学び、琉球へ帰国してからは高い社会的地位が約束されていました。「政治家になるための近道は僧になることだ。」ともいわれていたくらいです。

沖縄仏教史の研究者のひとり、神戸女子大学史学科の知名定寛教授は、「今を去ること500年前、沖縄は仏教王国であった。」と指摘されています。

衰退していく仏教

仏教王国だった琉球に大きな変革が訪れたのは17世紀初頭。薩摩藩の島津氏による琉球支配が始まってからでした。1659年に一向宗(浄土真宗)が禁止され、他の宗派にも厳しい制限が付けられたのです。

島津氏にとっては琉球で仏教が浸透するのは好ましくありません。なぜなら仏教は琉球国王尚氏の権威を表すものであり、それを否定することで琉球支配の実権が島津氏にあることを示そうとしたということ。薩摩藩が琉球に対して突き付けた「掟15箇条」の【その5】にも「寺社を建立してはならない」と明記されていますね。

そうなると、それまで高い社会的地位を得ていた僧侶たちは活動を大幅に制限され、どんどん仏教は衰退していきました。明治になり時代が近代を迎えてもなお、浄土真宗を布教したということで備瀬知恒など多くの者が処罰されています。

備瀬知恒

1854に禁教だった浄土真宗を布教しようとして、石垣島へ流罪になった仲尾次政隆の跡を継いだ人物。

密かに布教活動を続けますが、あまりに信徒が増えたことが災いし、役人に露見してしまいます。

1877年、備瀬知恒をはじめとする信徒たち300人が検挙されるという大事件に発展し、八重山へ流刑に処せられました。

しかし、途中で船が難破し備瀬は亡くなります。そして多くの人間の働きかけにより禁教が解かれたのは、そのわずか2年後のことでした。

民間信仰と融合していく仏教

江戸時代に薩摩藩によって支配されていた時代、たしかに仏教は衰退し、現在においても本土ほど盛んではありません。しかし知らず知らずのうちに、古来からの琉球神道と仏教とが結び付き、沖縄独特の宗教観を形成していたのですね。

例えば沖縄の人たちは基本的に仏教に帰依していませんし、檀家信者もほとんどいないと思います。しかし人が亡くなったら葬儀はほとんどの場合は仏式で行いますし、お通夜も同じく仏式です。(もちろん琉球の古式行事で行う場合もあるでしょう。)おそらく葬儀のためにお坊さんが存在しているといってもいいのかも知れません。

そういった意味で、仏教のしきたりや作法が沖縄の人々の生活の中に色濃く残り、それが沖縄古来の民間信仰と融合したということでしょう。沖縄でよくあるのが、お位牌に書く戒名を裏と表で逆にしてしまうこともあるそうで、特に戒名の意味はわからなくても、「そうしなければならない」という作法が残っているという典型的な例なのですね。

沖縄は古来から大陸と朝鮮半島、そして日本を繋ぐ「海の道」でしたから、あらゆる文化を受け入れる受容性が高く、それが古いものと結びつき合って新しい文化となりやすい立地だったのです。

沖縄のお盆ってどんなもの?

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かなり前置きが長くなりました。沖縄の宗教事情をご理解いただいたところで、では沖縄のお盆というのはどんな感じなの?という本題を解説していきましょう。お盆に行われる行事は、元来は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏教行事ですので、その伝統が沖縄にも根強く広まっているということになります。といっても、本土のお盆行事と似通いつつも独特のしきたりや作法があるものなのです。

沖縄のお盆行事はいつ頃にするの?

本土の場合、お盆の期間というのはおおむね決まっていて、新暦(現在の暦)で7/13~7/15頃のことを指します。でも不思議なことに、お盆休みや行事は8/13~8/16頃になっていませんか?実はこれは【月遅れのお盆】といって、暦通り7月にお盆行事をすると、大変慌ただしくなってしまうからなんです。

7月は祭礼や行事も多く、農作業などもまだ終えてない時期なので、それらがなるべく落ち着いた8月半ばにお盆の行事を執り行おうということが通例になりました。一部地域では7月にお盆の行事を行うところもあるようですが、多くの地域では8月半ばが当たり前となっていますね。

いっぽう沖縄ではどうかといえば、お盆の期間は実は旧暦を用いています。明治6年に明治政府が「お盆の期間は新暦を当てる」ことを決定しますが、この時はまだ沖縄県は発足していません。そして琉球が沖縄県として正式に日本へ編入されたのが明治12年。ですから「お盆の期間は新暦を当てなさい」という政府のお達しをもらわないままに旧暦が適用されているんですね。

沖縄のお盆の期間は旧暦の7/13~7/15です。ちなみに実際の新暦に直すと月日は変動しますので、2015年の時は新暦で8/26~8/28、2017年の時は新暦で9/3~9/5、2019年の場合は新暦で8/13~8/15といった具合。

沖縄では毎年のようにお盆の期間が変わってるんですね。だから毎年決まったお盆休みというものもありません。

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明石則実