室町時代戦国時代日本の歴史

現存する最古の天守:国宝【犬山城】の歴史と見どころ

日本には全国各地にたくさんのお城が残されています。地形を活かした山城や、建物は壊されて石垣だけが残った城など状況はさまざま。お城の楽しみ方は人それぞれで、山城や石垣だけの城であったとしても、その時代の戦いの様子を知る貴重な史料となるため、多くの人が訪れる観光スポットにもなっています。でもやっぱり、お城の象徴といえば立派な天守。それも観光用に再建された天守ではなく、建造当時の天守が残っているお城は人気です。中でも人気なのが、愛知県犬山市に現存する犬山城。どんなお城なのか、歴史や見どころなどたっぷりご紹介します。

犬山城とは?どこにある?誰が建てた城なの?

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犬山城とは、織田信長の叔父にあたる織田信康が、木曽川流域の小高い山の上に建てた平山城(小山や丘の上に建てられた城)です。現存天守(げんそんてんしゅ:江戸またはそれ以前の時代に建てられ現存する天守)12城のうちのひとつで、きりっとした佇まいが人気の名城。毎年多くの観光客が訪れ、勇壮な姿や景観を楽しんでいます。有名なお城ですが、どんな歴史を持っているのでしょうか。建造当時の歴史背景なども含めて、振り返ってみましょう。

室町時代に自然の地形を活かして建てられた平山城

犬山城は現在の愛知県の北西部、室町・戦国時代の地図で見ると、尾張と美濃の境目に鎮座。伊勢湾に注ぐ大河・木曽川の中流域に位置する、非常に重要なエリアにある高さ80mほどの高さの小山の上に建てられています。

木曽川を行きかう船もバッチリ見える見事な眺望。城を建てるには絶好の場所です。

この付近に文明元年(1469年)、尾張の守護代を務めていた織田氏が砦を築いたといわれています。このころ、都は応仁の乱の真っ最中でした。木ノ下城とも呼ばれることもあるこの砦が、犬山城のもとになったと考えられています。

そして天文6年(1537年)、織田信長の父親である織田信秀の弟・織田信康が木ノ下城を増改築。現在の犬山城の位置に本格的な城を築城。すでに天守のような、ある程度の高さのある建物が建てられていたと考えられています。

時は戦国時代。美濃の斎藤道三などが力をつけており、犬山城は代々織田家や織田家の家臣によって守られ、重要な役割を果たすようになっていきました。

織田・豊臣・徳川……時代に翻弄された犬山城

天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長が命を落とすと、天下は再び騒乱に。信長の後継及び天下人の地位を狙って、羽柴秀吉や柴田勝家、徳川家康などの戦国武将たちが抜け目なく動き出します。

犬山城は変わらず織田家の家臣が城主を務めていましたが、一時期、羽柴秀吉が本陣をおいていたこともあり、岡崎や駿府の勢力に睨みを利かせる重要な拠点となっていきました。

天正18年(1590年)には豊臣の家臣が城主となり、慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いでも引き続き西軍の拠点に。豊臣方の武将が代わる代わる城に入りますが、状況が西軍不利になると犬山城は放棄され、東軍の手にわたります。

江戸時代に入ってからは、徳川家の家臣・平岩親吉が数年間城主を務めますが、元和3年(1617年)から同じく徳川家臣の成瀬氏が代々城主を務めることに。もともとは関東に領地を持っていた成瀬氏でしたが、江戸時代に入ってからは尾張藩に仕え、代々犬山城の城主として城を守り続けることになるのです。

成瀬氏は以後、2004年まで、13代にわたって犬山城の城主を務めていきます。近年まで、大山城は個人が所有する城だったのです。

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