大政奉還と王政復古の大号令
日本国内でもめている場合ではないのに、止まらない諸藩や幕府、朝廷の中での争い。攘夷派、公武合体推進派と一口に言っても、それぞれの思惑には少しずつずれが生じていました。
江戸幕府では、14代将軍家茂が亡くなり、すったもんだの末、水戸藩・一橋慶喜が15代将軍に就任。徳川幕府が幕府として力を失いつつあった頃のことで、情勢は日一日と変化していました。
天皇中心の政治を行えばいいんだし、もう幕府はいらないんじゃないか?そんな声も高まってきます。次第に、尊王攘夷派はそのまま「幕府要らない派=倒幕(討幕)派」へと変わっていったのです。
そんな中、徳川慶喜は予想外の行動に出ます。土佐藩の後藤象二郎などの助言を受け、大政奉還を行ったのです。
大政奉還とは「朝廷に政権をお返しします」ということ。徳川幕府が幕府で亡くなり、ただの徳川家になるという意味になります。
倒幕派とは要するに、幕府を倒そうという人たちのこと。徳川家が幕府でなくなれば、倒される理由もなくなるだろうというのが、慶喜の狙いだったようです。
幕府でなくなったとしても、腐っても徳川家。大大名です。政権を返しても、新しい日本の政治の中心であり続けることは可能だったでしょう。
まさか徳川慶喜がそんな行動を……。薩摩藩など倒幕に動いていた藩士たちは驚きを隠せませんでした。
倒幕派からすれば、新しい日本を作ろうとしているのに徳川家は邪魔。何とかして徳川慶喜を追い出したいと画策します。
1868年1月3日(慶応3年12月9日)、西郷隆盛をはじめ薩摩藩や長州藩などの藩士たちが中心となって幕府や関白職などを廃止し、総裁や参与などの役職を置くことを決議。これが世にいう「王政復古の大号令」です。
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