20世紀初頭の国際関係が一変「第一次世界大戦」元予備校講師がわかりやすく解説
第一次世界大戦の背景
第一次世界大戦の直前、列強同士の対立はピークを迎えていました。特に、イギリスとドイツ、ロシアとオーストリアの対立は激しさを増す一方となります。イギリスは利害の一致するロシア・フランスと三国協商を結成、同じようにドイツはオーストリア・イタリアと三国同盟を結成しました。
イギリスとドイツの対立
イギリスは産業革命を達成し、世界各地を殖民として所有する大帝国でした。そのため、この時代のイギリスを大英帝国といいます。19世紀末にはロシアと世界各地で衝突していましたが、1910年代にはロシアとの関係が改善しました。その理由は、共通の脅威となったドイツに対抗する必要が生じたからです。
各国のバランスをとる外交を目指していたドイツ帝国宰相ビスマルクが失脚し、皇帝ヴィルヘルム2世が自ら政治を行うようになると、ヴィルヘルム2世は「世界政策」を唱え、世界各地に進出を図りました。特に、アフリカではフランスやイギリスの勢力とまともにぶつかり合うようになります。
また、ドイツの国力は産業革命とドイツ統一の効果で急成長。イギリスに対抗するだけの工業力をもちました。イギリスとドイツは建艦競争を繰り広げ、互いに相手を上回る海軍力を持とうと競い合います。
こちらの記事もおすすめ
【今さら聞けない】産業革命とその影響をやさしく解説! – Rinto~凛と~
ロシアとドイツ・オーストリアの対立
バルカン半島ではロシアとドイツ・オーストリアの勢力が対立します。16世紀から、バルカン半島はオスマン帝国の支配下にありましたが、19世紀にオスマン帝国が衰退すると、ロシア、ドイツ、オーストリアなどが進出を図りました。
また、バルカン半島の諸民族も独自のオスマン帝国と戦い独立を勝ち取ります。ロシアはパン=スラヴ主義を掲げてセルビアなどスラヴ系諸民族に連帯を訴えました。
ドイツやオーストリアはベルリン=イスタンブール間の鉄道を敷設することでバルカン半島に勢力を伸ばそうとします。ドイツが進めた鉄道計画はベルリンからイスタンブール(旧名ビザンティウム)、イラクのバグダードを結ぼうというもので3B政策とよばれました。
1908年、オーストリアは影響下においていたボスニア=ヘルツェゴヴィナの併合を宣言します。これに対し、隣国のセルビアは激しく反発しました。
こちらの記事もおすすめ
欧亜にまたがる大帝国となったオスマン帝国 – Rinto~凛と~
第一次世界大戦直前の国際情勢
第一次世界大戦の直前、国際情勢はどのようになっていたのでしょうか。まず、ドイツは同じ民族のオーストリア、南の隣国イタリアとの間で三国同盟を結びます。しかし、オーストリアとイタリアは領土問題で対立していました。
イギリスはドイツに対抗するためフランス・ロシアと三国協商を結びます。東西からドイツを挟み撃ちにしようという訳ですね。他にイギリスは日本と日英同盟を締結。東アジアでの備えも万全とします。
アメリカは三国協商寄りでしたが、国民に孤立主義の考えが強かったためヨーロッパでの戦争には否定的でした。
また、バルカン半島のセルビアはオーストリアのボスニア=ヘルツェコビナ併合に激しく反発。ロシアを後ろ盾に対抗しようとします。どこかで戦いの火蓋が切って落とされれば、たちまち世界各地に飛び火する状況が出来上がっていました。
こちらの記事もおすすめ
日本の近代化の決め手になった「日英同盟」とは?わかりやすく解説 – Rinto~凛と~
第一次世界大戦の経緯
1914年、オーストリアの皇位継承者夫妻がサライェヴォで暗殺された事件をきっかけに、第一次世界大戦が始まりました。「クリスマスまでには終わる」という各国の思惑ははずれ4年にわたる長期戦となります。新兵器も登場し戦線各所で使用されました。日本やアメリカも世界大戦に参戦。特に、アメリカの参戦により戦局は協商国有利に傾きました。1917年のロシア革命で一時的にドイツが勢いづきますが、最終的に戦争はドイツの敗北で幕を閉じます。