ヨーロッパの歴史

20世紀初頭の国際関係が一変「第一次世界大戦」元予備校講師がわかりやすく解説

サラィエヴォ事件とイタリアの離反

1914年、オーストリア帝国の皇位継承者だったフランツ=フェルディナント大公夫妻が訪問先のサライェヴォでセルビア人の青年に暗殺されました。サライェヴォはオーストリアが併合したボスニア=ヘルツェゴヴィナの州都です。

オーストリア帝国はセルビアに対して宣戦布告。セルビアの後ろ盾だったロシア帝国はセルビア支援のため動員令を布告。これがきっかけとなり、三国協商と三国同盟が互いに宣戦布告をすることで第一次世界大戦がはじまりました

しかし、イタリア王国はオーストリアと領土問題で対立していたため三国同盟から離脱。1915年には協商国側にたってオーストリアに宣戦布告しました。また、同盟国と近い関係にあったオスマン帝国は同盟国側に立って参戦します。こうして、戦いはヨーロッパ全土に拡大しました。

西部戦線と東部戦線

第一次世界大戦で主戦場となったのはドイツの東西国境でした。ドイツとイギリス・フランスが戦った場所を西部戦線、ドイツ・オーストリアとロシアが戦った場所を東部戦線といいます。

西部戦線ではドイツ軍がフランス国境に殺到しました。しかし、フランス・イギリス連合軍はドイツ軍の攻撃を塹壕で防ぎます。ドイツもフランス・イギリス軍を防ぐため塹壕を掘ったので、両軍が塹壕を掘りつつ向かい合う塹壕戦となりました。

東部戦線ではドイツ軍とロシア軍の主力がタンネンベルクで激突します。この戦いでドイツ軍はロシア軍に大勝。ドイツ・オーストリア軍はロシア領の奥深くに進撃しました。また、オーストリアとイタリアの戦いはアルプスをはさんでこう着状態となります。

第一次世界大戦で使われた新兵器

第一次世界大戦では数多くの新兵器が使用されました。その一つが飛行機です。飛行機は、はじめ偵察や軽爆撃などに使用されましたが、その後、武装を強化。航続距離が長い大型爆撃機や機関銃を搭載し、空中戦をおこなう戦闘機などが開発され実戦に投入されます。

塹壕を突破する兵器として考え出されたのが戦車でした。イギリスの海軍大臣だったチャーチルが農業用トラクターを応用して開発させました。機関銃の銃撃を防ぎ、塹壕を突破することができたので、ドイツ軍も戦車を開発します。

ドイツ軍が先に導入したのは潜水艦でした。優勢なイギリス海軍による海上封鎖を突破するため「Uボート」とよばれる潜水艦を建造します。Uボートによる商戦の撃沈である通商破壊は効果を上げますが、アメリカ参戦を呼び込んでしまいました。ほかにも、ドイツは毒ガスを製造し実戦に投入します。

日本、アメリカの参戦

1914年、第一次世界大戦がはじまってすぐに日本は日英同盟を理由としてドイツに宣戦布告します。日本の目的はドイツが中国に持っていた山東省の利権を奪うことでした。日本は山東省を占領し太平洋のドイツ領南洋諸島も占領します。また、日本はイギリスの要請に応じて海軍を地中海に派遣することも行いました。

1915年、アメリカ商船のルシタニア号がドイツのUボートによって撃沈されます。これにより、アメリカでは反ドイツの世論が高まりました。1917年2月、ドイツが無制限潜水艦作戦を宣言したことをきっかけに、アメリカは協商国側として参戦します。

アメリカが協商国側で参戦した最大の理由はイギリスやフランスが敗北することで貸した戦費が返済不能となることを心配したからでした。アメリカの参戦により戦局は大きく協商国有利に傾きます。

ロシア革命

1914年に始まった第一次世界大戦は4年目を迎えました。各国とも持てる力の全てを総動員する総力戦体制で戦っていたので、国力が弱い国は限界を迎えます。特に、タンネンベルクの戦いで敗北し、ドイツ・オーストリア軍に押し込まれていたロシアは苦しい状況でした。

食料や燃料は不足し、物価は一気に高騰。国民生活は窮乏化していきました。1917年首都ペトログラードでデモが起き、民衆は戦争反対や専制政治の打倒のスローガンを掲げて立ち上がりました。

3月15日、ロシア皇帝ニコライ2世は退位。ロマノフ王朝は滅亡します。2月革命の結果成立した臨時政府は戦争をやめようとせず、国民は臨時政府に失望しました。

その状況で亡命先から帰国し、二度目の革命を起こしたのがレーニンです。レーニンが起こした革命を十月革命といいました。レーニン政権はドイツ・オーストリアとブレスト=リトフスク条約を締結し戦争から離脱します。

ドイツの降伏と第一次世界大戦の終わり

ソヴィェト=ロシアと講和したドイツは東部戦線の軍を西部戦線に投入し、最後の攻勢を仕掛けます。しかし、アメリカを味方につけた協商国の防衛ラインを突破することはできませんでした。

1918年になるとドイツの敗色が濃厚となります。9月にはブルガリアが、10月にはオスマン帝国が降伏し、ドイツは徐々に孤立しました。11月に最大の盟邦であるオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊。ドイツの敗北は決定的となります。

それでも、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は戦争を止めようとしません。1918年11月3日、キール軍港のドイツ艦隊の水兵たちが反乱を起こしました。司令部が戦いを止めないどころか、無謀なイギリスとの艦隊決戦を命じたからです。

キール軍港の水兵反乱をきっかけに、ドイツ各地で革命が勃発。皇帝ヴィルヘルム2世は退位し、オランダに亡命しました。革命によって成立したドイツ共和国は協商国と休戦協定に調印。第一次世界大戦が終結しました。

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