ヨーロッパの歴史

20世紀初頭の国際関係が一変「第一次世界大戦」元予備校講師がわかりやすく解説

第一次世界大戦後の世界

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第一次世界大戦は19世紀末から20世紀初めまでの列強のバランスを完全に崩し、新たな国際秩序をもたらしました。ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、オスマン帝国が消滅しイギリス・フランスも大打撃を受ける一方、アメリカや日本は大きな利益を得ます。大戦後、国際平和機構として国際連盟が設立されました。

ヴェルサイユ条約

1919年1月、パリ講和会議が開かれ6月にヴェルサイユ条約が調印されました。この条約でドイツは全ての海外領土の放棄とポーランドにポーランド回廊を割譲すること、ザール地方を国際連盟の管理下に置くこと、ドイツ軍の軍備を制限すること、ドイツ領のラインラントを非武装化し、ライン川左岸を連合軍が占領すること、巨額の賠償金を支払うことなどを認めさせられました。

特に、ドイツに課せられた賠償金はドイツ人が一生働いても返済不可能といわれたほどの金額です。のちに、巨額の賠償金への反感などからドイツではヒトラーが政権を握ります。

政権を握ったヒトラーは賠償金の支払いを停止してしまいました。厳しすぎる講和条約は相手国の反発を買い、新たな戦争の火種になるという一例ですね。

大帝国の崩壊と中欧・東欧諸国の独立

第一次世界大戦で中央ヨーロッパから東ヨーロッパにかけて支配してきた4つの大帝国が崩壊します。とりわけ、ロシア帝国とオーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国の崩壊によりバルカン半島や東ヨーロッパでは「民族自決」の考え方に基づき新たな国が多数つくられました。

オーストリアからはハンガリーとチェコスロヴァキアが独立、ボスニア=ヘルツェゴヴィナはセルビアやモンテネグロなどとともにユーゴスラヴィアを建国します。フィンランド、バルト三国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)、ポーランドはロシア帝国からの独立を果たしました。

しかし、こうした民族自決が適用されたのはヨーロッパのみで、アジア・アフリカなどでは民族自決は適用されず植民地支配が継続します。

国際連盟の設立

1918年、パリ講和会議に先立ちアメリカ大統領ウィルソンが「十四カ条の平和原則」を発表します。この中でウィルソンは国際平和維持のための機関を設立するべきだと主張しました。

1920年、ウィルソンの十四カ条の平和原則に基づき国際連盟が設立されます。国際連盟の本部はスイスのジュネーヴに置かれ、総会・理事会・国際労働機関・国際司法裁判所などの組織がありました。

国際連盟を指導する常任理事国イギリス、フランス、イタリア、日本の四カ国。肝心のアメリカは孤立主義を主張しヨーロッパの出来事に干渉するべきではないとするアメリカ議会の反対により、国際連盟に参加することはできませんでした。

国際連盟はのちに設立される国際連合と異なり、武力制裁をすることができません。かつ、アメリカが不参加だったこともあり戦争を抑止する組織としては不十分でした。

敗戦国に厳しすぎたヴェルサイユ条約は第二次世界大戦の火種となった

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第一次世界大戦はヨーロッパの国際関係を根本から変える出来事でした。ドイツ、オーストリア、ロシア、オスマン帝国の崩壊により中央から東欧にかけて多くの独立国が誕生します。しかし、戦勝国であるイギリスやフランスは莫大な戦費を支払うため、敗戦国に巨額の賠償金を課しました。賠償金支払いによって行き詰まったドイツはヒトラーを指導者として世界の再分割を要求し第二次世界大戦を引き起こします。厳しすぎるヴェルサイユ条約は新たな戦争の火種となりました。

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