イギリスヨーロッパの歴史

「産業革命」って結局何が起きたの?経緯とその影響をわかりやすく解説

環境問題のニュースなどを見ると、「産業革命以降に人口が急増し二酸化炭素も増加した」といった説明がなされることがあります。おそらく、産業革命は「機械が導入されて工場ができた」くらいのイメージを持たれていることが多いでしょう。しかし、産業革命の具体的な内容はあまりよくわかっていないかもしれません。今回は産産業革命の内容とその後に与えた影響などについてわかりやすく解説します。

産業革命の背景

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産業革命は今からおよそ300年近く前にイギリスで起きたとされています。産業革命は突然起こったのではなく、いろいろなことが積み重なっておきました。

大航海時代以後、ヨーロッパに大量の金銀が運び込まれヨーロッパの経済活動が盛んになります。すると、品物がたくさん必要になり、今までの手工業では生産が追い付かなくなりました。産業革命が起きた背景についてまとめましょう。

大航海時代の影響

17世紀から始まった大航海時代の到来は世界貿易に大きな影響を与えました。

ヨーロッパの人々はアフリカに武器を売り、アフリカ沿岸の王たちは買った武器で周辺部族と戦います。負けた部族の人々は奴隷としてアメリカ大陸に売却。奴隷たちはヨーロッパ人が経営する農園で働かされます。彼らが生産した砂糖や木綿、金や銀はヨーロッパに運び込まれました。この貿易のことを三角貿易といいます。

三角貿易はヨーロッパに大量の物資や金銀をもたらしました。その結果、貿易の中心は地中海から大西洋沿岸に移ります。また、銀が大量に入り込んだことにより人々がお金を持つ機会が増えました。すると、人々は今まで以上に多くの品物を買うようになります。

こうして、ヨーロッパ全体の経済活動が盛んになっていったのです。経済の発展はさらなる需要を生み出します。

毛織物産業の発達と囲い込み運動

毛織物産業は羊毛を原料とした織物産業です。もともと、現在のベルギー周辺にあたるフランドル地方で生産が盛んでした。フランドル地方は対岸のイギリスから羊毛を輸入し高品質の毛織物を生産するようになって繁栄します。

14世紀から15世紀にかけて、羊毛製産地だったイギリスでも毛織物産業が盛んになりイギリスを支える重要産業へと成長。また、16世紀以後はアメリカ大陸との貿易でも毛織物が輸出されるようになり、ますます羊毛の需要が増えました。

すると、イギリスの地主たちは農地を牧羊場にするため農民たちを暴力的に追い出す動きが出てきます。これを囲い込み運動といいました。囲い込み運動の結果、土地を失った人々は仕事を求めて都市へと集まります

マニュファクチュア(工場制手工業)の成立

需要が増えると、今までのような職人がひとつずつ手作りで生産する方法だと生産が間に合わなくなります。そこで、新しい生産方法があみ出されました。それがマニュファクチュア(工場制手工業)です。

工場制手工業では、お金を持っている人(資本家)が工場を建て、お金を出して労働者を雇います。労働者たちは工場で分業と協業で製品を作り出しました。

分業と協業とは、役割分担を決めて製品を作る方法です。一人の職人がすべてを作るのではなく部分ごとに作ることによって生産効率があがり以前よりもたくさんの製品を生産可能に。

特に、イギリスでは囲い込み運動で追い出された元農民たちが労働者となって工場で働きました。

イギリスの強大化と海外市場の拡大

大航海時代以後、ヨーロッパ人は世界各地を征服し植民地としていきました。南北アメリカにはスペインが、アジアにはポルトガルが乗り出します。この後に続くのがオランダとイギリスでした。

16世紀後半のイギリス女王エリザベス1世の時代、イギリスはオランダの独立を支援しスペインの力を弱めます。さらに、スペインが南北アメリカから持ち帰る銀を載せた艦隊を海賊に襲撃させるなど「嫌がらせ」をつづけました。そして、ついに1588年、イギリス艦隊はスペインの無敵艦隊を破ったのです。

また、17世紀にはオランダとの戦争にも勝利し大西洋の制海権を握りました。強い海軍を持ったイギリスは次のライバルになったフランスとの植民地獲得競争にも勝利。世界の海を支配しました。

そうなると、海外市場でも販売する製品が必要となります。いよいよ、工場制手工業でも生産が追い付かなくなりました

産業革命の始まり

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産業革命とは、18世紀後半にイギリスではじまった変革のことです。特に、手工業から機械工業へと変化することで経済や社会の仕組みが大きく変化しました。産業革命は木綿工業から始まります。その後、石炭を利用する蒸気機関が発明され機械の動力が人力から蒸気力に変わりました。産業革命によって変化する社会の動きを見てみましょう。

木綿工業の機械化

17世紀後半になると、イギリスは東インド会社を通じて大量の綿織物を輸入しました。綿は軽くて肌触りがよく汗も吸収して洗いやすいというすぐれた衣料です。あまりに綿織物が売れて従来からの毛織物が売れなくなったので、1700年には綿織物の輸入が禁止になります。

しかし、人々は便利な綿織物を求めました。そこで、原料の綿花を輸入してイギリスで生産しようという動きが生まれたのは当然のことでしょう。

輸入された綿花を糸にする工程を紡績、布にする工程を織布といいます。最初は糸が余り気味で布が足りませんでした。織布の職人だったジョン=ケイは織機を改造する飛び杼(とびひ)を発明します。

これにより、布の生産効率は1.4倍になり、今度は糸が足りなくなりました。そこでハーグリーヴズは一度にたくさんの糸を生産できる多軸紡績機(ジェニー紡績機)を発明。アークライトは水力を動力としてよりたくさんの糸を作る水力紡績機を、クロンプトンはジェニー紡績機と水力紡績機のいいとこどりをしたミュール紡績機を発明しました。

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