日本の歴史昭和

戦後の日本の方向を決めたロサンゼルス講和会議と「日米安全保障条約」をわかりやすく解説

日本は、第二次世界大戦に敗れ、連合軍総司令部であるGHQ(General Hedquarters)の管理下に置かれていました。しかし、東西冷戦が強まったことから、1951年にロサンゼルス講和会議でロサンゼルス講和条約に調印し、同年に日米安全保障条約も締結しています。これによってアメリカ軍は日本国内に駐留基地を置くことが可能になり、日本は安全保障を米軍に依存するようになったのです。そして、何度も改定時期を迎え、内容は少しずつ変わってきていますが、現在も日米同盟の基本条約として存在しています。この日米安全保障条約について解説します。

日米安全保障条約とはどのような条約なのか

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現在も、日本などの極東の平和維持の名目で、沖縄県の普天間基地や神奈川県の横須賀港などにはアメリカ軍の基地がありますが、その根拠になっているのが日米安全保障条約です。

この日米安全保障条約は、1951年にロサンゼルス平和条約とともに、日本とアメリカ合衆国の間で署名されています

この日米安全保障条約がなぜ結ばれ、今でも日本の重要な条約として残っているのかについて見てみましょう。

日米安全保障条約が締結された背景_東西冷戦の影響

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日本は、第二次世界大戦に敗れ、1945年8月以降、連合軍総司令部 (GHQ:General Headquarters) の支配下に置かれ、国際的には独立国として認められていませんでした。 その状態は、1952年のロサンゼルス平和条約の効力発効まで続きます。そして、日米安全保障条約もロサンゼルス平和条約締結時に同時に締約され、日本は国防をアメリカ軍に依存して、実質的に軍事力を持たない状態で再独立したのです。日本国憲法という平和憲法の規定の下で、日本の安全保障(防衛)と平和を維持するためには、アメリカ軍を日本国内に駐留させることなどを認めた二国間条約が必要でした。日本が攻撃を受けた時には、アメリカ軍が守ってくれるという条約です。

もともと、日本国憲法では、国際連合の国連軍の存在を前提として戦力を持たない形で成立したのです(基本的には現在も)。しかし、国連軍は実現せず、安全保障のためには日本側としても米国軍の駐留が必要でした。

当初は日本を立ち直らせる気のなかったGHQ

当初、日本に進駐したGHQでは、日本を軍備もその背景になる経済力も持たないままにすることを考えていました。財閥解体、労働組合の奨励、女性参政権、秘密警察(憲兵など)の付与などの政策をとり、1948年以降に東西冷戦が深刻化するまで、日本経済の立て直しにも消極的だったのです。

環境を大きく変えた東西冷戦の発生

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しかし、第二次世界大戦後の世界では、国際連合は結成されたものの、ソビエト連合(ソ連)が東ヨーロッパ諸国に進駐し、共産国としたことにより、東西冷戦が始まりました。個人資産を認めず、自由主義も認めないソ連を中心とした東側諸国に、欧米諸国はそれが侵略などで拡散される恐怖を感じて対立するようになったのです。西側諸国ではNATO (北大西洋条約機構)が結成され、それに対抗して東側諸国にもワルシャワ条約機構が成立して、東西冷戦が本格化しました。

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