日本は安全保障をアメリカ軍に依存して経済回復に集中できた
日本は、国の防衛をアメリカ軍に依存することで、国防費を最小限に抑えられたことで、経済の復興に集中することが可能になりました。その結果、後の高度経済成長時代を実現し、世界第2位の経済大国に発展することになったのです。
1962年の日米安全保障条約の改定と安保闘争
日本では、再独立によって、A級戦犯で収監されていた保守色の濃い政治家が復帰してきます。鳩山一郎(鳩山由紀夫元首相の祖父)、石橋湛山、岸信介(安倍晋三首相の祖父)らです。彼らは、吉田茂の自由党から離党した人たちと日本民主党を結成しました。1954年には鳩山一郎が首相になり、アメリカ寄り一辺倒の政策からソ連との国交回復に転換し、日ソ共同宣言に調印して、国連加盟を果たします。また、再軍備、憲法改正も唱えました。
これらの動きに対して、平和憲法を守る立場でありながら、当時分裂していた社会主義政党は、1955年の総選挙で躍進した後に日本社会党として再統一されます。それに危機感を持った財界などの要請によって、自由党と日本民主党は合流して自由民主党が誕生させました。これによって、長く続く55年体制が確立したのです。
A級戦犯が総理大臣に就任_戦争のできる体制を狙った鳩山と岸
鳩山一郎の後に首相になった岸信介は、日米安全保障条約の改定時機をとらえ、同条約をアメリカとの相互対等な互助条約に変えようとしました。再び日本を戦争に参加することを可能にし、アメリカのケンカに日本が参加する可能性と、アメリカの同盟国として攻撃を受ける可能性が生じたのです。これには多くの国民が反対し、国会の周りには60万人のデモで埋め尽くされた安保闘争がおこなわれました。しかし、結果的に岸信介首相の意向が反映された形で安保条約は改定延長され、岸首相は調印後、辞職しています。
これにより、日米の相互協力を可能にし、条約上では核兵器の持ち込みも事前協議によって可能になったのです。日本は、憲法解釈で自衛隊は自国防衛のための組織で軍隊ではないとし、実質的な陸軍、海軍、空軍組織を持つことが可能になりました。
明確な形での日米同盟を目指して、現在では、岸信介の孫の安倍首相が、憲法解釈を変えてまで国内法の改正を成立させています。
日米安全保障条約に伴う日米地位協定と思いやり予算
日米安全保障条約の実施に伴い、米軍の基地使用と治外法権を認めた日米地位協定が必要になりました。米軍兵の犯罪も基本的には米軍に捜査権があり、現行犯以外は米軍の同意がなければ逮捕できません。しかし、ドイツなどのヨーロッパの米軍駐留においては、日本ほどの治外法権を認めていないのです(NATO との関係により)。
また、48年からは、思うやり予算と言って4米軍の駐留経費のうちの一定部分を日本が肩代わりするようになっています。現在のアメリカのトランプ政権では、更なる負担を求めているのです。これもヨーロッパでの米軍駐留においては認められていません。
日本の経済大国化によって負担は拡大
日米安全保障条約は、もともと日本が東西冷戦において西側諸国の防波堤になることを前提に結ばれましたが、東西冷戦の緩和に伴い日本の負担は高まっていきました。日本が世界でも有数の経済大国になったことがその背景だったのです。それは、米軍に防衛力依存したおかげで経済大国になれただけに仕方がなかったと言えます。
ただし、東西冷戦は1989年に終結し、日本が共産主義国家との防波堤になる意味はなくなっています。
日米安全保障条約は冷戦が終わってもなぜ現在もあるのか
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世界の情勢が大きく変化し、東西冷戦というものがなくなったということは、本来日米安全保障条約の根拠はなくなっています。日米安全保障条約は、相互条約に変質し、同盟条約に変わっているのです。現在では、日本もイージス艦などの軍隊とも言えるほどの巨大な自衛戦力を持っています。
しかし、現在の世界は、実質的に冷戦時代よりも悪くなっているのです。冷戦時代は、アメリカとソ連という圧倒的な戦力と経済力を持つ両大国が互いに戦力バランスをにらみながら対応していました。そのため、キューバ危機を除けば、世界戦争に至るような大きな戦争は生じていません。
現代では、アメリカは突出した経済力を失い、ロシア、中国、EUと多くの多極化した国際社会になっており、さらに、テロ戦争も生じています。世界の多くの地域で紛争が絶えません。国際連合も調整機能を失い、地域紛争などに対処できず、サミット、G20なども形骸化して効果的な手を打つことはできなくなっているのです。
さらに、世界は保守主義的な右傾化傾向にあり、他国よりも自国のことしか考えない指導者が増えています。その中で、一定の国と同盟を結ぶことが最良のこととは言えなくなりつつあるのも事実です。
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