日本の歴史を振り返る~各時代の出来事と特徴を紹介~
- 各時代ごとに日本の歴史を振り返ろう
- 【旧石器時代】マンモスやナウマン象を追って日本列島に人類が到着
- 【縄文時代】竪穴式住居に住み、縄文土器や磨製石器を使っていた
- 【弥生時代】邪馬台国の卑弥呼が現れた時代、稲作が広がり集落が「クニ」に発展
- 【古墳時代】大和朝廷が誕生し、仏教・儒教も伝わった
- 【飛鳥時代】律令制度を整え、中央集権国家を作った時期
- 【奈良時代】仏教の力で国を治めようとした聖武天皇
- 【平安時代】藤原氏の摂関政治と煌びやかな貴族文化
- 【鎌倉時代】源頼朝が開いた鎌倉幕府
- 【室町時代(南北朝・戦国時代)】安定しない時期が続くも、農業や商業など経済が発達
- 【安土桃山時代】信長・秀吉の天下統一とそれにふさわしい豪華で雄大な文化が栄えた
- 【江戸時代】最後の武家政権、安定した世の中で経済・農業・商業・文化が発展
- 【明治時代】西洋文化を取り入れ「富国強兵」を目指し、西欧列強の仲間入りを果たす
- 【大正時代】民主主義への動き「大正デモクラシー」
- 【昭和時代】第二次世界大戦敗戦、そして現在につながる改革と高度経済成長
- そして平成の時代へ
この記事の目次
各時代ごとに日本の歴史を振り返ろう
それでは早速、時代ごとに日本の歴史を振り返っていきましょう。政治史を中心にしながら、文化や人々の暮らしについて触れていきますが、触れることができない部分も大多数!そこは、どうかご了承くださいね。
【旧石器時代】マンモスやナウマン象を追って日本列島に人類が到着
旧石器時代は紀元前15000年ごろまで。日本列島が、大陸とまだ陸続きだったころのことです。大陸から、日本列島に人類が渡ってきたんですね。マンモスやナウマン象などの大型生物が生息していた時期でもあります。
この頃は、打製石器と呼ばれる、石を砕いて作った武器や道具を使って、狩猟や採集を中心とした暮らしをしていたのが特徴ですね。旧石器時代の遺跡としては、群馬県の岩宿遺跡が有名。相沢忠洋氏が、旧石器時代の打製石器を発見しました。
【縄文時代】竪穴式住居に住み、縄文土器や磨製石器を使っていた
続く、縄文時代は、紀元前15000年~紀元前4世紀ごろ。旧石器時代と縄文時代の間に、新石器時代を入れるものもありますが、日本の縄文時代は、新石器時代とかなりの部分かぶっているんですね。もともと旧石器時代や新石器時代というのは、考古学の考え方。簡単に言えば、使う石器が打製石器か磨製石器かで、新旧をわけています。主にヨーロッパに当てはまるものなので、日本には完全に当てはまらないんですね。
縄文時代では、打製石器と合わせて、石を磨いた磨製石器が使われています。そして縄文土器。人々は、竪穴式住居に住み、狩猟・採集で食物を得ていました。この時代の遺跡としては、エドワード・モースが発見した東京都の大森貝塚が有名。貝塚とは、当時のごみ捨て場のこと。集団で生活をしていたことがわかりますね。また、青森県の三内丸山遺跡は縄文時代の大規模遺跡として有名です。土器や石器、また土偶も発見されたんですよ。そして、縄文時代の終わりには、稲作が伝わったとされています。
【弥生時代】邪馬台国の卑弥呼が現れた時代、稲作が広がり集落が「クニ」に発展
紀元前4世紀~3世紀中ごろは、弥生時代です。土器は、縄文土器から弥生土器に。縄文時代に伝わった稲作が、東日本にも広がりました。そこで、狩猟採集から農耕中心へ。収穫されたものは高床式倉庫に保存しました。合わせて、青銅器や鉄器が伝わり、農具も発展します。この稲作によって、集団で生活をすることが進み、集落、やがてクニが作られました。こうして身分の差ができます。
このクニの一例が「奴国」。中国の「『後漢書』東夷伝」に記され、「漢委奴国王印」をもらっているんですね。また、中国の「魏志倭人伝」には、邪馬台国の卑弥呼のことが書かれ、魏の国王より「親魏倭王」に任じられています。
【古墳時代】大和朝廷が誕生し、仏教・儒教も伝わった
3世紀中ごろ~7世紀ごろは古墳時代。前方後円墳と呼ばれる、巨大な古墳が多く作られた時期ですね。古墳とはつまりお墓のこと。古墳からは、埴輪が多く出土しています。
古墳時代には、大和朝廷(ヤマト王権)という連合政権が誕生。大王(おおきみ)を中心として、豪族が組み込まれる形ですね。豪族とは、その土地で権力を持つ一族のことです。後に出てくる蘇我氏や物部氏など有名ですね。そして、大和朝廷は、畿内を中心に勢力を拡大し、古代国家を作り上げました。地域国家ではなく統一国家となったのは、この古墳時代からと考えてもいいですね。そして、漢字や仏教・儒教が大陸から伝わったことも、忘れてはいけません。
【飛鳥時代】律令制度を整え、中央集権国家を作った時期
続いては、飛鳥時代(592~710年)。奈良県の飛鳥という地に、都がおかれたことから、飛鳥時代という名前がついています。厩戸皇子(聖徳太子)が活躍したことは有名ですね。十七条の憲法や冠位十二階などが整備されました。また、小野妹子ら遣隋使が派遣され、中国の文化を多く取り入れていくこととなります。
大化の改新が行われたのはこの後。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼし、本格的な天皇中心の国づくりがスタートします。土地や人民は天皇のものとする「公地公民制」、農地を与えて耕作させる「班田収授法」、税金制度の「租・庸・調」などの制度が作られたんですね。また、天智天皇の時代には、日本初の戸籍である「庚午年籍」、日本初の律令法典の「近江令」が作られました。律は刑法、令はそれ以外の法律を指しますね。その後、律令制度や行政組織を再編しながら、中央集権国家が形成されていくこととなります。また、持統天皇の時代には、藤原京という日本初の本格的な都城ができました。ちなみに、日本最古の木造建築である法隆寺は、飛鳥時代の建築ですよ。
【奈良時代】仏教の力で国を治めようとした聖武天皇
奈良時代は、平城京遷都から平安京に移るまでの時代(710~794年)。仏教によって国を治めようという、鎮護国家を目指したのが特徴です。聖武天皇が建てた東大寺、全国に建てた国分寺はその象徴ですね。ですので、この時代の天平文化は、仏教色が強いんですよ。また、『古事記』・『日本書紀』の歴史書や、和歌集である『万葉集』が編纂がされたのもこの時代でした。
さて、飛鳥時代に引き続き、律令制を整備していく時期でしたが、税収を増やすために開墾を進めた時期でもありました。そのため、自分で開墾した土地は永久にその者の所有を認めるという「墾田永世私有法」を制定。これが荘園が発生していく原因になるんですね。こうして、力を持つ貴族や寺社は私有地を増やし、さらに力を拡大させていくこととなります。その代表とも言えるのが、藤原氏ですね。