偉人の恋愛エピソード7選!あの有名人も実は恋愛体質だった!?
7-3.ついに自殺を遂げた太宰
あるとき屋台のうどん屋で、後に心中自殺することになる山崎富栄と知り合い、富栄とも恋に落ちました。太宰は富栄に「死ぬ気で恋愛してみないか」と告げたそうです。
こうして正妻がありながら、同時に二人の女性とも関係を持ち続ける感覚は、もはや理解しがたいところでしょう。
1948年、肺結核を患っていた太宰は、玉川上水へ富栄とともに入水自殺。それまで一度どころか何度でも自殺未遂を繰り返し、ようやく本望を叶えたわけですが、この太宰というダメ人間は、最後の最後まで自分の身勝手を貫き通しただけのように思えます。
しかし、意外と太宰のことを悪く言う人間は当時もさほどおらず、その行動の身勝手さとは別にして、人間的魅力のあった人物なのではないでしょうか。
8.将軍とともに生き、徳川幕府の最期を見届けた女性【天璋院篤姫】
不明 author – 尚古集成館所蔵品。, パブリック・ドメイン, リンクによる
この方もかつて大河ドラマで取り上げられた歴史上の人物です。政争の道具として徳川将軍家に輿入れしながら、江戸幕府の終焉を見届けた女性ですね
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8-1,将軍家定との蜜月
篤姫は1836年に薩摩藩島津一門の姫として誕生しました。時は幕末。外国勢力の圧迫によって徐々に江戸幕府の力が弱まり、尊王攘夷が叫ばれた時代でした。
薩摩藩主島津斉彬は、篤姫を養女として幕府へ送り込み、将軍の正室とすることで日本の政治の舵取りをしようと思い立ったのです。外様大名である島津が発言力を強めるにはこの方法しかありませんでした。
しかし夫となった徳川家定は、生来の病弱ぶりで政務もろくに行えぬ有様。一説には脳性麻痺だったという説もあります。しかし篤姫はそんな夫のために献身的に尽くし、夫婦仲も良好だったそうです。
家定もまた、他の誰にも見せない優しい面を篤姫に対してだけは見せていたのでしょう。
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8-2.幕府の最期を見届ける
しかしそんな結婚生活も長くは続きませんでした。結婚してわずか2年で家定が死去したのです。その後、徳川家茂が14代将軍に就任し、孝明天皇の妹である和宮が江戸へ輿入れにやって来ました。
当初は武家と朝廷の立場の違いから不和となっていましたが、のちに和解し、その中は良好だったといいますね。篤姫は薩摩へ帰ることなく江戸城に留まり、不安に揺れる大奥をしっかり取り仕切ったといいます。
やがて幕府が倒れ、やって来た新政府軍の前に江戸城を明け渡すことになりました。そして篤姫は徳川家の存続のために奔走します。新政府に対して徳川慶喜の助命嘆願を繰り返したのでした。
その甲斐あって慶喜の蟄居処分だけで事なきを得、その後は変わらず徳川の人間として生きたといいます。
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恋愛の参考にしたい偉人はいくらでもいる!
ここにご紹介した偉人たちの恋愛って、かなりの確率でダメンズばかりでしたね。どうしても面白い恋愛エピソードをたくさん紹介しようとすると、「浮気」だの「不倫」だのといったワードが先に来てしまいます。といっても、まともな恋愛をすることは当たり前のことなので、そんな当たり前なことだけを書き連ねていても、ちっとも面白くないですもんね。でも!歴史上のほとんどの偉人さんたちは、恋人や奥さんを大事にしてきた人ばかり!そう信じたいですね。
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